
「弱り目に祟り目」ということわざ、聞いたことはあるけれど、正確な意味や使い方って意外と迷ってしまいますよね。日常会話でさらっと使いこなせたらカッコいいけれど、間違った使い方をしてしまうのも恥ずかしい気がするものです。
実はこのことわざ、私たちの人生で起こりがちな「不運の連鎖」を表現した、とても身近な言葉なんですね。困っている時にさらに悪いことが重なってしまう経験、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。
この記事では、「弱り目に祟り目」の意味や由来、具体的な使い方の例文、さらには類語や対義語、英語表現まで、網羅的に解説していきます。読み終わる頃には、自信を持ってこのことわざを使えるようになっているはずですよ。
「弱り目に祟り目」を理解するための基礎知識

まずは「弱り目に祟り目」の基本的な情報から見ていきましょう。読み方や正確な意味、そしてこのことわざがどのように生まれたのかを知ることで、より深く理解できるようになりますよね。
読み方
「弱り目に祟り目」は、「よわりめにたたりめ」と読みます。
「弱り目」と「祟り目」という、どちらも「目」で終わる言葉が組み合わさっているんですね。語呂がよくてリズミカルなので、一度覚えてしまえば忘れにくいことわざかもしれません。
「祟り」の部分を「崇り」と書き間違えることもあるかもしれませんが、正しくは神仏の罰を意味する「祟り」の方ですので注意してくださいね。
意味
「弱り目に祟り目」は、困っている状態にさらに災難や不運が重なることを意味することわざです。
「弱り目」というのは文字通り弱っている状態、つまり困窮していたり体調が悪かったり、何らかのトラブルを抱えていたりする状況を指します。そこに「祟り目」、つまり神仏の祟りのような災いがさらに降りかかってくるイメージなんですね。
一つの不幸だけでも大変なのに、それに追い打ちをかけるように次々と悪いことが起きてしまう。そんな不運の連鎖を表現した言葉なんです。誰もが経験したことのある、あの「踏んだり蹴ったり」な状況を思い浮かべていただければわかりやすいかもしれませんね。
語源と由来
「弱り目に祟り目」の語源を理解するには、まず「祟り」という言葉の意味を知ることが大切です。
「祟り」とは、神仏の罰や災いのことを指します。昔の人々は、理由のわからない不幸や災難が続くと、それを神仏の祟りとして捉えていたんですね。何か悪いことをした報いとして、天罰が下ると信じられていた時代背景があります。
このことわざは、そうした日本人の精神性や文化的な背景から生まれたものだと言われています。弱っている時というのは、心身ともに脆くなっているもの。そんな時に限って、まるで神仏の祟りのように次々と悪いことが起きてしまう経験を、先人たちは言葉にして残したのでしょう。
「弱り目」と「祟り目」という語呂合わせの妙も、このことわざの特徴ですよね。リズムよく響く言葉だからこそ、長い年月を経ても人々の間で語り継がれてきたのかもしれません。
不運が重なる時、私たちは「なぜこんな時に」「どうして自分ばかり」と思ってしまうものですが、実はそれは誰もが経験することなんですね。このことわざは、そんな普遍的な人間の経験を言い表しているとも言えるでしょう。
「使い方」がわかる「例文」3選

意味や由来がわかったところで、実際にどんな場面で使えばいいのか気になりますよね。ここでは具体的な例文を3つご紹介します。それぞれ異なるシチュエーションでの使い方を見ていきましょう。
1:「残業続きで疲れ切っているのに、プロジェクトでミスをして上司に叱られた。まさに弱り目に祟り目だよ」
これはビジネスシーンでの使い方ですね。
残業続きで心身ともに疲労している状態、これが「弱り目」にあたります。そんな中でミスをしてしまい、さらに叱責を受けるという追加の不運が「祟り目」というわけです。
このように、すでに困難な状況にある人に、さらなる悪い出来事が重なった時に使える表現なんですね。職場では誰もが共感できる場面かもしれませんね。疲れている時ほど集中力が落ちてミスをしやすくなり、それがまた新たなストレスを生むという悪循環、わかる気がします。
2:「風邪で寝込んでいたら、大事な書類の提出期限を忘れていた。弱り目に祟り目とはこのことだ」
こちらは日常生活での例文です。
体調不良で寝込んでいる状態が「弱り目」で、そこに重要な期限を逃してしまうという問題が加わる「祟り目」の構図ですね。体調が悪い時は判断力も鈍っているものですから、こういったミスは起こりがちです。
一つの不幸だけでも大変なのに、それに関連してさらに別の問題が発生してしまう。そんな状況を嘆く際に、このことわざはぴったりの表現になります。聞いた人も「それは大変だったね」と共感してくれるでしょう。
3:「失恋して落ち込んでいたら、親友にも裏切られた。弱り目に祟り目で、もう立ち直れない気がする」
これは人間関係や心理的なダメージに関する例文ですね。
失恋という心の痛手が「弱り目」で、そこに親友の裏切りという追加のショックが「祟り目」として降りかかってきます。精神的に弱っている時にさらなる心の傷を受けるという、とても辛い状況を表現しています。
このように、「弱り目に祟り目」は身体的・物理的な不幸だけでなく、心理的・精神的な不運の重なりにも使えるんですね。むしろ、心が弱っている時こそ、このことわざの本質が生きてくるのかもしれません。
3つの例文を見てきましたが、共通しているのは「すでに困難な状況にある人に、さらなる不運が重なる」という点です。自分自身の経験を語る時にも、他人の状況を説明する時にも使える、とても汎用性の高いことわざなんですね。
似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現
「弱り目に祟り目」と似た意味を持つことわざは、実は日本語にたくさんあるんです。それぞれ微妙にニュアンスが違うので、状況に応じて使い分けられるといいですよね。ここでは代表的な類語を4つご紹介します。
泣き面に蜂
「泣き面に蜂(なきつらにはち)」は、「弱り目に祟り目」の最も代表的な類語と言えるでしょう。
泣いている顔に蜂が刺すという、想像しただけで痛そうな状況を表していますよね。すでに悲しくて泣いているのに、そこへさらに蜂に刺されるという物理的な痛みまで加わる。不幸の上に不幸が重なる様子を、とても具体的なイメージで表現しています。
「弱り目に祟り目」との違いは、より身体的・視覚的なイメージが強い点でしょうか。どちらも不運の連鎖を表す点では同じですが、「泣き面に蜂」の方がやや軽いニュアンスで使われることもあります。日常会話では、こちらの方が使われる頻度が高いかもしれませんね。
落ち目に祟り目
「落ち目に祟り目(おちめにたたりめ)」は、「弱り目に祟り目」のバリエーションとも言える表現です。
「落ち目」とは、運気や勢いが衰えている状態のこと。「弱り目」よりも、特に社会的地位や評判、人気などが下降している状況を指すことが多いんですね。
例えば、事業が傾いている時にさらに取引先から契約を打ち切られたり、人気が落ちている芸能人にスキャンダルが出たりする場合に使われます。「弱り目に祟り目」が個人の心身の状態を含む広い意味で使われるのに対し、「落ち目に祟り目」は社会的な衰退期における不運という、やや限定的な場面で使われる傾向があるかもしれません。
鬼は弱り目に乗る
「鬼は弱り目に乗る(おにはよわりめにのる)」は、少し違った角度から不運の連鎖を表現していますね。
このことわざは、弱っている人をさらに苦しめる外部の力の存在を強調しています。「鬼」という悪意ある存在が、弱っている人に付け込んでくるというイメージなんですね。
単に不運が重なるだけでなく、まるで誰かに狙われているかのように悪いことが続く時や、弱みに付け込まれるような経験をした時に使われることが多いでしょう。「弱り目に祟り目」が偶然の不運の重なりを表すのに対し、こちらはより外部からの攻撃や意図的な悪意を感じさせる表現と言えるかもしれません。
踏んだり蹴ったり
「踏んだり蹴ったり(ふんだりけったり)」も、よく使われる類語表現ですね。
踏まれて痛い思いをしているのに、さらに蹴られるという、まさに散々な目に遭う状況を表しています。「弱り目に祟り目」よりも口語的で、日常会話でカジュアルに使いやすい表現かもしれません。
この言葉の特徴は、連続して降りかかる不運をより動的に表現している点です。静かに不運が積み重なるというより、次々と攻撃を受けているようなニュアンスがあります。「今日は踏んだり蹴ったりの一日だった」というように、一日の出来事を振り返る時などによく使われますよね。
「対義語」は?
不運が重なる「弱り目に祟り目」の反対、つまり幸運が重なる状況を表すことわざもあります。こちらも知っておくと、表現の幅が広がりますよね。
盆と正月がいっぺんに来たよう
「盆と正月がいっぺんに来たよう(ぼんとしょうがつがいっぺんにきたよう)」は、嬉しいことが同時に重なる状況を表す代表的な表現です。
盆と正月は、日本の伝統的な年中行事の中でも特に楽しみな時期ですよね。親戚が集まったり、ご馳走を食べたり、お小遣いをもらえたり。そんな嬉しい出来事が一度に訪れるような、思いがけない幸運の連鎖を表しています。
「弱り目に祟り目」が不幸の重なりを嘆く表現であるのに対し、こちらは喜びの重なりを表現する対義語になります。「今月は昇進が決まって、さらに懸賞にも当たった。まるで盆と正月がいっぺんに来たようだ」というように使えますね。
鬼に金棒
「鬼に金棒(おににかなぼう)」は、強い者がさらに強くなることを意味することわざです。
すでに強力な鬼が、さらに金棒という武器を手にしたら、まさに無敵ですよね。良い状態にさらに良い要素が加わって、より強力になる様子を表しています。
「弱り目に祟り目」が弱っている時にさらに弱る状況を表すのに対し、「鬼に金棒」は強い時にさらに強くなる状況。この意味で対義的な関係にあると言えるでしょう。ただし、こちらは単なる幸運の重なりというより、能力や力が増強される場面で使われることが多いかもしれませんね。
渡りに船
「渡りに船(わたりにふね)」は、困っている時にちょうどよいタイミングで助けが現れることを意味します。
川を渡りたいと困っている時に、ちょうど船が来てくれる。そんな絶妙なタイミングでの幸運を表現していますね。
「弱り目に祟り目」が弱っている時にさらに悪いことが起きる不運を表すのに対し、「渡りに船」は困っている時に良いことが起きる幸運を表します。どちらも「困っている」という前提があるのが興味深いですよね。その後に続くのが不運か幸運かで、正反対の結果になるわけです。
「英語」で言うと?
「弱り目に祟り目」のような不運の連鎖を表す表現は、英語にもいくつかあるんです。文化は違っても、人間が経験する不運の感覚は万国共通なのかもしれませんね。
It never rains but it pours.(雨が降るとどしゃ降りになる)
これは「弱り目に祟り目」に最も近い英語表現と言えるでしょう。
直訳すると「雨が降り始めたら、決まってどしゃ降りになる」という意味ですね。小雨程度で済まずに、降り始めたらどしゃ降りになってしまう。つまり、悪いことが起き始めたら、それで終わらずにさらに悪いことが続くという意味なんです。
天候という自然現象を使って不運の連鎖を表現しているところが、日本語の「祟り」という宗教的・精神的なイメージとは異なりますが、不運が重なる状況を表すという本質的な意味は同じですよね。英語圏でもよく使われる慣用表現なので、覚えておくと便利かもしれません。
When it rains, it pours.(雨が降る時はどしゃ降りになる)
これは上記の表現のバリエーションで、よりシンプルな言い方です。
「It never rains but it pours」とほぼ同じ意味ですが、こちらの方が現代英語では一般的に使われているかもしれません。「決まって」という強調のニュアンスは薄れますが、意味は変わりません。
面白いことに、この表現は悪いことが重なる場合だけでなく、良いことが重なる場合にも使えるんですね。文脈によってポジティブにもネガティブにも解釈される点が、日本語の「弱り目に祟り目」とは少し違うところかもしれません。
Misfortunes never come singly.(不幸は単独では来ない)
こちらはより直接的に不幸の連鎖を表現した言い方です。
「misfortunes」は不幸や災難を意味し、「singly」は単独で、一つずつという意味。つまり「不幸は一つだけではやってこない、必ず連続してやってくる」という意味なんですね。
この表現は、天候などの比喩を使わずに、ストレートに不運の連鎖を述べています。やや固い表現かもしれませんが、まさに「弱り目に祟り目」の本質を捉えた英語表現と言えるでしょう。フォーマルな場面や文章で使いやすい表現ですね。
まとめ
ここまで「弱り目に祟り目」について、意味や由来、使い方、類語、対義語、英語表現まで詳しく見てきました。最後にポイントを整理しておきましょう。
「弱り目に祟り目」は、困っている状態にさらに災難や不運が重なることを意味することわざです。「祟り」という言葉が示すように、日本人の精神性や文化的背景から生まれた表現なんですね。
使い方としては、自分や他人が不運の連鎖に見舞われている状況を説明する時に使えます。ビジネスシーンでも日常会話でも、共感を得やすい表現ですよね。
「泣き面に蜂」「踏んだり蹴ったり」などの類語も覚えておくと、状況に応じて使い分けられて便利です。それぞれ微妙にニュアンスが違うので、場面に合わせて選んでみてくださいね。
不運が重なる時、私たちはつい落ち込んでしまいがちですが、こうしたことわざがあるということは、昔の人も同じような経験をしてきたということですよね。「弱り目に祟り目」という言葉を使うことで、辛い状況を客観的に見られたり、他人と共感し合えたりする効果もあるのかもしれません。
ぜひ日常会話で使ってみてください。きっと「そうそう、まさにそういうこと」と共感してもらえるはずですよ。