
「千里を走る馬」ということわざ、聞いたことはありますよね。なんとなく「優れた馬のこと」なのかなとは思うけれど、正確にどういう意味なのか、どんな場面で使えばいいのか、詳しく説明するとなると難しいかもしれませんね。
実はこのことわざ、中国の古典に由来する深い意味を持った故事成語なんですね。単に「速い馬」という意味だけではなく、才能ある人とそれを見抜く人の関係について教えてくれる、現代にも通じる大切なメッセージが込められているんです。
この記事では、「千里を走る馬」の意味や由来から、具体的な使い方、類語・対義語、さらには英語表現まで、わかりやすくお伝えしていきますね。最後まで読んでいただければ、このことわざを自信を持って使えるようになりますよ。
「千里を走る馬」を理解するための基礎知識

読み方
「千里を走る馬」は、「せんりをはしるうま」と読みます。
短縮形として「千里の馬(せんりのうま)」とも呼ばれることがありますね。どちらの呼び方でも意味は同じですので、安心してください。読み間違えやすい漢字はありませんが、「千里」を「ちり」と読まないように注意してくださいね。
意味
「千里を走る馬」とは、一日に千里(約400km)を走ることができる優れた馬のことを指します。
でも、これは単に速い馬という表面的な意味だけではないんですね。実は、優れた才能を持った人を比喩的に表現する言葉として使われているんです。
さらに深い意味があります。このことわざには「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず」という続きがあって、「優れた才能を持つ人は世の中にたくさんいるけれど、その才能を見抜ける人は滅多にいない」という教訓を伝えているんですね。
つまり、どんなに素晴らしい才能を持っていても、それを理解し評価してくれる人がいなければ、その才能は埋もれてしまうということを教えてくれているんです。
語源と由来
「千里を走る馬」の由来は、中国唐代の文人・韓愈(かんゆ)が書いた『雑説』という文章にあります。韓愈さんは、768年から824年に生きた偉大な文学者なんですね。
原文は「世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。」というもので、日本語に訳すと「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。」となります。
ここで登場する「伯楽(はくらく)」という人物についても知っておくと、このことわざの理解がさらに深まりますよね。
伯楽とは、中国古代の伝説的な馬の鑑定人・孫陽(そんよう)のことなんです。彼はどんな馬でもその才能を見抜くことができる名人として知られていて、馬の世界では「伯楽」という星の名前にもなっているんですね。転じて、人の才能を見抜く慧眼の持ち主を指す言葉として使われるようになったんです。
韓愈さんの文章には続きがあって、「故に名馬有りと雖も、祗だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死して、千里と称せられず。」と書かれています。これは「だから名馬がいても、凡人の手で粗末に扱われ、馬小屋の中で並んで死んでいき、千里を走る馬として名を残すことができない」という意味なんですね。
きっと韓愈さん自身も、才能が理解されず埋もれていく人々を見て、もどかしく感じていたのかもしれませんね。この文章には、そんな時代への嘆きと、才能を見抜く目を持つ人の重要性を訴える強いメッセージが込められているんです。
実は『雑説』以前にも、『戦国策』や『韓詩外伝』など、中国の古典文学には類似した表現が見られるんですね。つまり、この「千里を走る馬と伯楽」の話は、古くから人々の心に響くテーマだったということがわかりますよね。
「使い方」がわかる「例文」3選

1:「彼は千里を走る馬のような才能を持っているのに、それを活かせる環境に恵まれていないようだ」
この例文は、ビジネスシーンや職場でよく使われる表現ですね。
優れた能力や才能を持っている人がいるのに、その才能を理解してくれる上司や経営者がいない、または才能を発揮できる環境が整っていないという状況を表しているんです。
もしかしたら、あなたの周りにもこういう人がいるかもしれませんね。本当は素晴らしいアイデアや技術を持っているのに、評価されずに単純作業ばかりをさせられている、そんな状況です。
この表現を使うときは、才能ある人への共感や、その状況を惜しむ気持ちを込めることが多いんですね。
2:「この会社には千里を走る馬はたくさんいるが、伯楽がいないことが問題だ」
こちらは人材育成や組織マネジメントの文脈でよく使われる表現ですね。
社員や部下に優秀な人材はいるのに、その才能を見抜いて育てる能力を持った管理職やリーダーがいないという問題を指摘しているんです。
実は2020年代のビジネス記事でも、「人材不足ではなく、見つけ・育てない問題」として、この表現が頻繁に使われているんですね。NTT西日本さんの記事などでも、現代的な解釈として紹介されているんです。
この例文のポイントは、単に才能ある人を探すだけでなく、その才能を見抜く目を持つリーダーの重要性を強調しているところですね。
3:「私は千里を走る馬になりたいのではなく、人の才能を見抜ける伯楽になりたい」
この例文は、自己啓発やキャリア論の文脈で使われることが多いですね。
自分自身が評価されることよりも、他人の才能を発見し、育てることに価値を見出したいという考え方を表しているんです。
教育者やマネージャー、メンターとしての立場を目指す人が、こういう表現を使うことがありますよね。「伯楽になりたい」という表現は、人を見る目を養いたい、人材育成のプロフェッショナルになりたいという願望を表しているんですね。
また、SNSやnote.comなどでも、このような自己実現の文脈で「千里を走る馬」と「伯楽」の関係が語られることが増えているんです。キャリア論やリーダーシップについて考えるとき、この故事成語が現代でも生き続けているってことがわかりますよね。
似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現
玉磨かざれば光なし
「玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)」は、どんなに優れた才能や素質を持っていても、磨かなければその価値を発揮できないという意味のことわざですね。
「千里を走る馬」と似ているのは、才能や素質の存在を前提にしているところです。でも微妙な違いがあるんですね。
「玉磨かざれば光なし」は、本人の努力や修練の必要性を強調しているのに対し、「千里を走る馬」は才能を見抜く他者の存在に焦点を当てているんです。つまり、前者は「自分で磨く」こと、後者は「他者に見出される」ことが重要だという違いがありますね。
宝の持ち腐れ
「宝の持ち腐れ(たからのもちぐされ)」は、貴重なものや優れた能力を持っているのに、それを活用しないで無駄にしてしまうという意味ですね。
これも「千里を走る馬」と共通する部分があります。優れた才能が活かされていないという状況を表している点では同じなんですね。
ただし、「宝の持ち腐れ」は本人が活用していないことへの批判的なニュアンスが含まれることが多いんです。一方、「千里を走る馬」は、才能が埋もれてしまう構造的な問題や、見抜く人がいないという環境の問題を指摘しているんですね。
埋もれ木に花
「埋もれ木に花(うもれぎにはな)」は、長い間世に知られずにいた人が、突然評価されるようになることを表すことわざですね。
これは「千里を走る馬」の状況から、才能が見出されるという展開に焦点を当てた表現なんです。つまり、埋もれていた才能がついに日の目を見る、というポジティブな側面を強調しているんですね。
「千里を走る馬」が「才能が埋もれてしまう問題」を提起しているのに対し、「埋もれ木に花」は「才能が認められる希望」を表現しているという違いがありますね。
猫に小判
「猫に小判(ねこにこばん)」は、価値がわからない者に貴重なものを与えても意味がないという意味のことわざですね。
これも才能と評価のミスマッチという点では「千里を走る馬」と関連しています。でもこちらは、価値を理解できない側への批判的な視点が強いんですね。
「千里を走る馬」が才能ある者への同情と、それを見抜けない社会への批判を含んでいるのに対し、「猫に小判」は理解できない側の無知や無能力をより直接的に指摘している点が異なりますね。
「対義語」は?
鶏群の一鶴
「鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)」は、凡人の中に一人だけ優れた人物がいることを表すことわざですね。
一見すると「千里を走る馬」と似ているように思えるかもしれませんが、実は対義的な面があるんです。
「千里を走る馬」は才能が埋もれて認識されない状況を嘆いているのに対し、「鶏群の一鶴」は才能が明確に際立って認識されている状況を表しているんですね。つまり、伯楽がいて才能が見出されている状態と言えますよね。
出る杭は打たれる
「出る杭は打たれる(でるくいはうたれる)」は、才能や能力が優れている人は、周囲から妬まれたり攻撃されたりするという意味ですね。
これは「千里を走る馬」とは違った形での才能への障害を表しているんです。
「千里を走る馬」が見出されないことを問題にしているのに対し、「出る杭は打たれる」は見出されたことで逆に攻撃されるという状況を表していますね。どちらも才能が正当に評価されない状況を描いていますが、そのメカニズムが正反対なんです。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
「実るほど頭を垂れる稲穂かな(みのるほどこうべをたれるいなほかな)」は、人は才能や地位が高くなるほど謙虚になるべきだという教えですね。
これは才能が認められた後の振る舞いについて述べているんです。
「千里を走る馬」が才能を見出される前の段階での問題を扱っているのに対し、こちらは才能が認められた後の在り方を教えているという点で対照的ですね。つまり、伯楽に見出された千里の馬が、どう振る舞うべきかを教えているとも言えるかもしれませんね。
「英語」で言うと?
A great talent is slow to mature.(偉大な才能は成熟に時間がかかる)
この英語表現は、優れた才能は簡単には開花しないという意味を持っているんですね。
「千里を走る馬」の、才能が見出されるまでに時間がかかる、あるいは埋もれてしまう可能性があるという側面を表現していると言えますね。英語圏では、才能の発見や育成には時間と忍耐が必要だという考え方が、このような表現に表れているんです。
ビジネスや教育の場面で、才能ある若者を育てる文脈でよく使われる表現なんですね。
A diamond in the rough(磨かれていないダイヤモンド)
これは英語圏で非常によく使われる表現で、まだ磨かれていないけれど、潜在的に素晴らしい価値を持っているものを指すんですね。
「千里を走る馬」に最も近いニュアンスを持つ英語表現かもしれませんね。ダイヤモンドの原石は、専門家の目(伯楽)がなければその価値がわからないという点で、まさに同じ構造を持っているんです。
人材採用の場面で「He is a diamond in the rough」(彼は磨かれていないダイヤモンドだ)のように使われることが多いですね。将来性はあるけれど、まだ育成が必要な人材を表現するときに使われるんです。
Genius unrecognized(認識されない天才)
この表現は、その才能や天才性がまだ認められていない状態をストレートに表現しているんですね。
「千里を走る馬」の「伯楽がいない」という状況を、最も直接的に英語で表現したものと言えるかもしれませんね。
歴史上、多くの芸術家や科学者が生前は「genius unrecognized」だったという話がありますよね。ゴッホやカフカなど、死後に評価された人々がこの言葉で語られることがあります。才能を見抜く目を持つ人がいなかったために、その価値が理解されなかったという意味で、「千里を走る馬」の本質をとらえていると言えますね。
まとめ
「千里を走る馬」は、中国唐代の韓愈が『雑説』で述べた故事成語で、一日に千里を走れる優れた馬=才能ある人を表しているんですね。
このことわざの本質は、どんなに優れた才能があっても、それを見抜く「伯楽」がいなければ、その才能は埋もれてしまうという教訓にあります。才能と、それを見出す慧眼の両方が必要だということを教えてくれているんですね。
使い方としては、才能が活かされていない状況を嘆く場面や、人材育成の重要性を語る場面で効果的に使えますよ。ビジネスシーンでも、キャリア論でも、幅広く応用できる表現なんです。
もしかしたら、あなた自身が「千里を走る馬」かもしれませんし、あるいは誰かの才能を見出す「伯楽」になれるかもしれませんね。
私たちの周りには、きっと多くの「千里を走る馬」がいるはずです。そして、その才能を見抜く目を養うことも、現代社会でとても大切なことなんですね。ぜひ日常会話や文章の中で、このことわざを使ってみてください。きっと、あなたの表現の幅が広がりますよ。