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「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の意味や由来とは?例文でわかりやすく解説!

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の意味や由来とは?例文でわかりやすく解説!

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」ということわざを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
言葉の響きがなんとなく歴史的で壮大な感じがしますよね。
でも、いざ「どういう意味ですか?」と聞かれると、正確に説明できないかもしれませんね。

この言葉は三国志に由来する有名な故事成語なんですね。
諸葛孔明という天才軍師と、司馬懿という名将の対決から生まれた表現なんです。
ただの歴史のエピソードというだけでなく、現代のビジネスや日常生活にも通じる深い教訓が込められているんですよ。

この記事では、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の正確な意味歴史的な由来、そして実際に使える例文まで、わかりやすく丁寧に解説していきますね。
類語や対義語、英語表現も紹介しますので、この記事を読めばこのことわざを完璧に理解できるはずですよ。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」を理解するための基礎知識

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」を理解するための基礎知識

読み方

「しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす」と読みます。

少し長めの言葉ですので、最初は読みにくく感じるかもしれませんね。
「孔明」は「こうめい」、「仲達」は「ちゅうたつ」と読むんですね。
どちらも中国の歴史上の人物の名前なんですよ。

「死せる」は文語的な表現で「死んだ」という意味、「生ける」は「生きている」という意味です。
「走らす」は「走らせる」という意味で、ここでは「逃げさせる」というニュアンスがあるんですね。

意味

このことわざの意味は、優れた人物は死んだ後も、その威光や影響力が生き続けて、生きている人を恐れさせたり動かしたりするということなんですね。

つまり、本当に偉大な人物というのは、たとえその人が亡くなった後でも、生前に築いた信頼や権威が残り続けるということなんです。
生きている人がその威光におびえて、行動を変えてしまうほどの影響力があるということですね。

もっと広い意味では、死後も尊敬され続けるほどの偉大さや、人の心に深く刻まれる存在感を表現する時に使われるんですよ。
リーダーシップの本質や、人としての影響力の大きさを示す言葉とも言えますね。

語源と由来

この故事成語の由来は、中国の三国志時代にまでさかのぼるんですね。
具体的には、蜀漢の丞相だった諸葛亮(諸葛孔明)と、魏の将軍だった司馬懿(司馬仲達)との対決のエピソードから生まれたんです。

西暦234年、五丈原という場所で、孔明は病に倒れて亡くなりました。
孔明は生前から魏との戦いを指揮していた天才軍師で、その知略は敵国の魏でも恐れられていたんですね。
特に敵将の司馬懿は、何度も孔明の計略にはまった経験があり、孔明を非常に警戒していたんです。

孔明が病死した後、蜀の軍は撤退を開始しました。
この知らせを聞いた司馬懿は、「孔明が死んだなら今がチャンスだ」と考えて、蜀軍を追撃しようとしたんですね。
きっと司馬懿としても、長年の宿敵がついに倒れたという情報に、勝利の機会を感じたのかもしれません。

ところが、蜀軍の様子がおかしいことに気づくんです。
撤退しているはずなのに、軍の陣形がしっかりしていて、混乱している様子が全くないんですね。
それどころか、突然反転して反撃の構えを見せたんです。

司馬懿は「もしかしたら孔明の死は偽装で、実はまだ生きているのではないか」「これは孔明の罠かもしれない」と恐れて、急いで軍を引き返させました。
実際には孔明は本当に亡くなっていたのですが、彼の優れた軍略と事前の準備によって、蜀軍は秩序正しく撤退することができたんですね。
孔明は自分の死後のことまで計算に入れて、撤退の手順を部下たちに指示していたんです。

このエピソードから、「死んだ孔明が、生きている仲達を走らせた(逃げさせた)」という表現が生まれたんですね。
中国の史書『蜀志』や『資治通鑑・魏紀』に記録されている実際の歴史的出来事なんですよ。
原文では「死諸葛走生仲達」という簡潔な表現で記されているんです。

この故事が日本に伝わる際に、より説明的な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という形になったと言われていますね。
歴史好きの方なら、三国志演義や正史三国志で読んだことがあるかもしれませんね。

「使い方」がわかる「例文」3選

「使い方」がわかる「例文」3選

1:「先代社長の経営理念が会社を今も守っている。まさに死せる孔明、生ける仲達を走らすだ」

この例文は、ビジネスシーンでの使い方ですね。
すでに亡くなった創業者や先代社長の影響力が、今も会社の経営や社員の行動に強く残っているという状況を表しているんです。

たとえば、創業者が掲げた「お客様第一主義」という理念が、その人が亡くなった後も社員たちの心に深く根付いていて、困難な決断の時にも「創業者ならどう考えるだろう」と自然に考えてしまうような場合ですね。
亡くなった人の教えや価値観が、生きている人々の指針となり続けているという意味で使われるんですよ。

実際の会社経営でも、カリスマ的な創業者が亡くなった後、その人の遺訓や経営哲学が会社の文化として残り続けることってありますよね。
それが良い方向に働けば、会社の強みとなるわけです。

2:「恩師が残してくれた言葉が、迷った時の道しるべになっている。死せる孔明、生ける仲達を走らすとはこのことだ」

これは教育や人間関係における使い方の例ですね。
すでに亡くなった恩師や先生の教えが、弟子や教え子の人生に大きな影響を与え続けているという状況を表しているんです。

たとえば、学生時代にお世話になった先生が残してくれた「失敗を恐れずに挑戦しなさい」という言葉が、社会人になってからも心の支えになっているような場合ですね。
困難な状況に直面した時、その先生の言葉を思い出して勇気を得る、というような経験は誰にでもあるかもしれませんね。

亡くなった人の精神的な影響力が、生きている人の人生を導き続けるという意味で使われるんですよ。
この使い方は、単なる権威や恐れではなく、尊敬と感謝の気持ちが込められていますね。

3:「あの監督の戦術理論は今も業界のスタンダードだ。死せる孔明、生ける仲達を走らすというべきだろう」

これはスポーツやその他の専門分野での使い方ですね。
すでに亡くなった専門家や第一人者が確立した理論や手法が、現在も業界で影響力を持ち続けているという状況を表しているんです。

たとえば、革新的なサッカー戦術を開発した伝説的な監督がいたとして、その人が亡くなった後も、その戦術が世界中のチームで使われ続けているような場合ですね。
現役の監督たちが、その故人の理論を基にして自分たちの戦術を組み立てているということなんです。

この例文では、専門的な業績や功績が時代を超えて影響を与え続けているという意味で使われていますね。
学問や芸術、技術の分野でも同じように使えるんですよ。
偉大な功績というのは、その人が亡くなった後も長く人々に影響を与え続けるものなんですね。

似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現

虎は死して皮を残し、人は死して名を残す

これは「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と非常に近い意味を持つことわざですね。

虎は死んだ後に美しい毛皮を残し、人は死んだ後に名声や功績を残すという意味なんです。
つまり、生きている間にどれだけ立派な仕事をして、良い評判を残すかが大切だという教えですね。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」との微妙な違いは、こちらの方が「名声を残すこと」そのものに焦点を当てているという点なんですね。
一方、孔明の故事は、死後の影響力が実際に生きている人を動かすという、より具体的な影響力に重点が置かれているんです。
どちらも死後に残る影響について語っていますが、ニュアンスが少し違うんですよ。

立つ鳥跡を濁さず

これも死後や去り際に関連することわざですね。

立ち去る時には、後に悪い印象を残さないように美しく去るべきだという意味なんです。
水鳥が飛び立つ時に、水面を乱さずに美しく飛び立つ様子から来ている表現ですね。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」との関連性は、どちらも「去った後の影響」について語っている点なんですね。
ただし、「立つ鳥跡を濁さず」は悪い影響を残さないという消極的な意味なのに対して、孔明の故事は積極的に良い影響を与え続けるという積極的な意味という違いがあるんですよ。

名を残す

これはシンプルな表現ですが、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の本質を表していますね。

後世に名前や功績が記憶され、語り継がれることを意味する言葉なんです。
「歴史に名を残す」「後世に名を残す」という形でよく使われますよね。

孔明の故事との共通点は、死後も影響が続くという点なんですね。
ただし、「名を残す」は単に記憶されることを指すのに対して、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」は実際に行動を起こさせるほどの影響力を強調しているという違いがあるんですよ。
より強い影響力を表現したい時には、孔明の故事を使う方が適切かもしれませんね。

三尺下がって師の影を踏まず

これは師弟関係における尊敬を表すことわざですね。

師匠に対しては常に敬意を払い、師匠の影さえも踏まないように三尺(約90センチ)後ろを歩くという意味なんです。
弟子が師匠を深く尊敬している様子を表しているんですね。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」との関連は、どちらも師や先人に対する敬意や影響力を表している点なんですよ。
ただし、こちらは生きている師匠への態度を示すのに対して、孔明の故事は亡くなった後でも影響が続くという点が異なるんですね。
時間軸が違うと言えるかもしれません。

「対義語」は?

のど元過ぎれば熱さを忘れる

これは「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と対照的な意味を持つことわざですね。

苦しい経験や恩も、時が経てば忘れてしまうという意味なんです。
熱い食べ物を飲み込んで喉を通り過ぎてしまえば、その熱さを忘れてしまうという様子から来ているんですね。

孔明の故事が「死後も影響が残り続ける」ことを称賛しているのに対して、このことわざは影響や記憶が時間とともに薄れていく人間の性質を表しているんですよ。
つまり、完全に対極の状況を描いているわけですね。
孔明のような永続的な影響力とは正反対の、移ろいやすい人の心を表現しているんです。

死んだ子の年を数える

これも対義的な意味合いを持つことわざですね。

亡くなった人のことをいつまでも考えて、無益な思いにふけることを意味するんです。
どちらかというと否定的なニュアンスで使われることが多いですね。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」が死者の積極的で建設的な影響力を讃えているのに対して、「死んだ子の年を数える」は過去にとらわれすぎる非建設的な態度を戒めているという違いがあるんですよ。
同じ「死後のこと」を語っていても、ポジティブかネガティブかという点で対照的なんですね。

過ぎたるは猶及ばざるが如し

これは少し角度が違いますが、対義的な側面を持つことわざですね。

やりすぎることは、やらないのと同じくらい良くないという意味で、中庸の大切さを説いているんです。
何事もほどほどが良いという教えですね。

孔明の故事が「影響力の大きさ」を肯定的に評価しているのに対して、このことわざは過度な影響力や存在感がかえって問題になることもあるという別の視点を提供しているんですよ。
強すぎる影響力が必ずしも良いとは限らない、という考え方ですね。
バランスの重要性を示しているという点で、対照的な教訓と言えるかもしれません。

「英語」で言うと?

The influence of great men lives after them(偉人の影響は死後も生き続ける)

これは「死せる孔明、生ける仲達を走らす」に最も近い英語表現ですね。

直訳すると「偉大な人々の影響は彼らの死後も生き続ける」という意味になるんです。
シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の中にも似た表現があって、"The evil that men do lives after them; The good is oft interred with their bones"(人の行った悪は死後も生き続けるが、善行は骨とともに埋められることが多い)という有名な一節があるんですね。

偉大な人物の影響力が時を超えて続くという概念は、英語圏でも広く理解されているんですよ。
ビジネスや学術的な文脈でもよく使われる表現なんですね。

A dead lion is more powerful than a living dog(死んだライオンは生きた犬より強い)

これは聖書に由来する英語の格言なんですね。

直訳すると「死んだライオンは生きている犬よりも力がある」という意味になります。
旧約聖書の伝道の書9章4節に「生ける犬は死せる獅子に勝る」という表現があって、それを逆転させた形なんですね。

この表現は、偉大な人物は死んでもなお、取るに足らない人物よりも影響力があるということを示しているんです。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の本質である「死後も残る威光」という概念と非常に近いですよね。
ライオンと犬という動物の対比を使っているところが、英語らしい表現方法かもしれませんね。

His legacy lives on(彼の遺産は生き続けている)

これはより現代的でシンプルな英語表現ですね。

「legacy」は「遺産」「遺したもの」という意味で、物質的な遺産だけでなく、精神的な遺産や功績、影響力なども含む言葉なんです。
「live on」は「生き続ける」という意味で、合わせて「彼の遺産(影響)は生き続けている」となるんですね。

ビジネスシーンや追悼のスピーチなどでよく使われる表現なんですよ。
たとえば、"Steve Jobs' legacy lives on in every Apple product"(スティーブ・ジョブズの遺産はすべてのアップル製品の中に生き続けている)のように使われるんですね。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」ほど劇的な表現ではありませんが、死後も影響が続くという核心的な意味は同じなんですよ。
日常会話でも使いやすい表現かもしれませんね。

まとめ

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」ということわざについて、詳しく見てきましたね。

このことわざの意味は、優れた人物は死んだ後も威光や影響力が残り、生きている人を動かし続けるということでしたね。
三国志の諸葛孔明と司馬懿の歴史的なエピソードから生まれた言葉で、孔明の死後も彼の存在が司馬懿を恐れさせて退却させたという故事に由来しているんです。

現代では、ビジネスシーンで創業者の理念が会社を導き続けている様子や、恩師の教えが人生の指針となっている状況など、さまざまな場面で使うことができるんですね。
単なる歴史のことわざではなく、私たちの日常生活にも通じる深い教訓が込められているんですよ。

このことわざが教えてくれるのは、本当に偉大な人物や功績は、時間を超えて人々に影響を与え続けるということなんですね。
それは恐れだけではなく、尊敬や感謝、憧れといった感情も含まれているんです。

もしかしたら、あなたの周りにも「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言えるような人がいるかもしれませんね。
亡くなった祖父母の教え、先輩の残した言葉、歴史上の偉人の功績など、今も私たちの心に影響を与え続けているものはたくさんあるはずですよ。

このことわざを理解すると、私たち自身も「どう生きるか」「何を残すか」ということを考えるきっかけになりますよね。
生きている間に誠実に行動し、良い影響を周りに与えていくことの大切さを、改めて感じさせてくれる言葉なのかもしれませんね。

ぜひ、適切な場面でこのことわざを使ってみてください。
歴史の知識を示すだけでなく、深い洞察と教養を感じさせる表現として、会話やスピーチで活用できるはずですよ。