
「羹に懲りて膾を吹く」ということわざ、聞いたことはあるけれど、正確な意味は?と聞かれると迷ってしまう方も多いかもしれませんね。
このことわざは、一度の失敗から必要以上に慎重になりすぎる様子を表現しているんですね。熱い汁物で火傷した人が、冷たい料理まで吹いて冷まそうとする姿が目に浮かぶようですよね。
この記事では、「羹に懲りて膾を吹く」の意味や由来、実際の使い方がわかる例文、さらには類語や対義語、英語表現まで網羅的に解説していきますね。
日常生活やビジネスシーンで使えるよう、わかりやすくお伝えしていきますので、ぜひ最後までお付き合いくださいね。
「羹に懲りて膾を吹く」を理解するための基礎知識

読み方
「羹に懲りて膾を吹く」は「あつものにこりてなますをふく」と読みます。
「羹」という漢字は日常ではあまり見かけませんよね。
これは「あつもの」と読み、熱い汁物を意味する言葉なんですね。一方、「膾」は「なます」と読み、冷たい料理のことを指しています。
四字熟語では「懲羮吹膾」(ちょうこうすいかい)とも表記されますので、こちらの表現も覚えておくと良いかもしれませんね。
意味
「羹に懲りて膾を吹く」は、一度の失敗経験から必要以上に用心深くなり、本来は心配する必要のないことまで警戒してしまう様子を表しています。
熱い汁物で口を火傷した人が、その経験に懲りて、冷たい膾(なます)まで吹いて冷まそうとする姿を比喩的に表現しているんですね。
冷たい料理には吹く必要がないのに、過去の失敗が頭から離れず、過度に慎重になってしまうという人間の心理を見事に描写していますよね。
現代では、主に「過剰な用心」や「必要以上の警戒」を揶揄する文脈で使われることが多いんですね。
ただし、元々は「用心に用心を重ねることの大切さ」を説く肯定的な意味合いもあったとされています。
語源と由来
「羹に懲りて膾を吹く」の由来は、中国の古典『楚辞(そじ)』の「九章・惜誦」まで遡ります。
原文では「懲於羹而吹韲(せい)兮」と書かれており、日本に伝わる過程で「韲」が「膾」に置き換わって定着したんですね。
「韲」も「膾」も細かく切った野菜や肉を使った料理という点では共通しているため、意味はほぼ同じと考えて良いでしょう。
『楚辞』は紀元前3世紀頃に編纂された中国の詩集で、屈原という詩人の作品が中心となっています。
つまり、このことわざは約2300年以上も前から存在する、非常に歴史のある表現なんですね。
日本では江戸時代にはすでに広く知られるようになり、教訓を含んだことわざとして定着していきました。
当初は「慎重さの大切さ」を説く肯定的な意味で使われていましたが、時代とともに「過剰な用心を戒める」というニュアンスが強くなってきたとされています。
また、「羹」とは具体的には野菜や肉が入った熱い吸い物のことで、現代でいう味噌汁やスープのようなものですね。
一方「膾」は魚や肉、野菜を細かく刻んで酢で和えた冷たい料理で、お正月に食べる「紅白なます」を想像していただくとわかりやすいかもしれませんね。
使い方がわかる「例文」3選

1:「株で失敗してから、羹に懲りて膾を吹くように、どんな投資話も一切聞かなくなってしまった」
この例文は、投資で一度失敗した人が、その経験から過度に慎重になりすぎている状況を表していますね。
株式投資で損失を出した経験があると、その後すべての投資に対して拒否反応を示してしまう方っていらっしゃいますよね。
もちろん慎重になることは大切なのですが、リスクとリターンをしっかり分析すれば良い投資機会もあるかもしれません。
しかし、一度の失敗が強烈な記憶として残ってしまい、まったく別の投資案件や、よりリスクの低い選択肢まで一律に拒絶してしまうんですね。
これはまさに「羹に懲りて膾を吹く」状態と言えるでしょう。
ビジネスシーンでも使いやすい表現ですので、覚えておくと便利かもしれませんね。
2:「自転車で転んでケガをしてから、羹に懲りて膾を吹くかのように、徒歩でも過度に周囲を警戒するようになった」
この例文は、自転車事故の経験が歩行時の行動にまで影響を与えている様子を描いていますね。
事故やケガの経験は誰にとっても辛いものですし、その後慎重になるのは自然なことですよね。
しかし、自転車と徒歩では危険度がまったく異なるにもかかわらず、同じレベルで警戒してしまうのは、少しやりすぎかもしれません。
もちろん、歩行時も周囲に注意を払うことは大切なのですが、必要以上に神経質になってしまうと、日常生活がストレスフルになってしまいますよね。
適度な注意と過度な警戒のバランスを取ることが、きっと大切なんでしょうね。
3:「一度食あたりを起こしてから、レストランでも家でも、羹に懲りて膾を吹くように何でも過剰に加熱するようになった母」
この例文は、食中毒の経験から食品衛生に極度に神経質になった様子を表現していますね。
食あたりは本当に辛い経験ですし、それ以降食品の扱いに慎重になるのは理解できますよね。
ただ、すでに十分に加熱された料理や、生食が前提の食材まで過剰に加熱してしまうのは、料理の味や栄養価を損なってしまう可能性もあります。
この例文では、お母さんの気持ちに寄り添いながらも、やや行き過ぎた行動であることを優しく指摘しているニュアンスが感じられますよね。
家族や身近な人の行動について、批判的ではなく共感的に表現したいときに使える言い回しかもしれませんね。
似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現
蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる
「蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる」は、「へびにかまれてくちなわにおじる」と読みます。
蛇に噛まれた経験のある人が、朽ちた縄を見ても蛇と勘違いして怖がってしまう様子を表しているんですね。
「羹に懲りて膾を吹く」と非常に似た意味を持つことわざで、一度の失敗で関係のないものまで恐れるという点が共通していますよね。
ただし、微妙なニュアンスの違いもあるんですね。
「蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる」は、特に「恐怖心」や「怯え」の側面が強調される傾向があります。一方「羹に懲りて膾を吹く」は、過度な「用心深さ」や「慎重さ」に焦点が当たっている印象がありますね。
どちらも日常会話で使いやすい表現ですので、状況に応じて使い分けるといいかもしれませんね。
一度目の蛇二度目の蝮
「一度目の蛇二度目の蝮」は、「いちどめのへびにどめのまむし」と読みます。
一度蛇に出会った後、二度目に会うものがより危険な蝮であるという意味から、過去の経験から学んで、より慎重になることを表していますね。
このことわざは、「羹に懲りて膾を吹く」と比べると、少し肯定的なニュアンスが含まれているんですね。
つまり、過去の経験を活かして適切に警戒することは賢明だという意味合いがあるんです。
「羹に懲りて膾を吹く」が「やりすぎ」を指摘するのに対し、こちらは「学習による適切な警戒」を評価する表現と言えるでしょう。
似ているようで微妙に違うこの2つのことわざ、使い分けられるとかっこいいかもしれませんね。
過ぎたるは猶及ばざるが如し
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は、「すぎたるはなおおよばざるがごとし」と読みます。
これは孔子の『論語』に由来する有名なことわざで、何事もやりすぎは、やらないのと同じくらい良くないという意味ですね。
「羹に懲りて膾を吹く」が示す「過度な用心」も、まさにこの「やりすぎ」の一例と言えるでしょう。
このことわざは、用心深さに限らず、あらゆる物事において「バランスの大切さ」を教えてくれているんですね。
努力も、優しさも、節約も、すべて適度が大切で、極端に走ると逆効果になってしまうということですよね。
人生のさまざまな場面で思い出したい、普遍的な教訓を含んだことわざかもしれませんね。
転ばぬ先の杖も度が過ぎれば
「転ばぬ先の杖」は本来、前もって準備をすることの大切さを説くことわざですよね。
しかし、「転ばぬ先の杖も度が過ぎれば」という形で使われると、過度な準備や予防も問題であるという意味になるんですね。
これは「羹に懲りて膾を吹く」と非常に近い概念を表現していると言えるでしょう。
適度な準備や用心は素晴らしいことですが、それが行き過ぎると、かえって行動を制限してしまったり、無駄なコストがかかってしまったりしますよね。
何事もバランスが大切だということを、このことわざは教えてくれているんですね。
「対義語」は?
喉元過ぎれば熱さを忘れる
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、「のどもとすぎればあつさをわすれる」と読みます。
これは苦しい経験も、その場を過ぎてしまえば簡単に忘れてしまうという人間の性質を表していますね。
「羹に懲りて膾を吹く」が「失敗を忘れずに用心する」ことを表すのに対し、こちらは「失敗をすぐに忘れてしまう」ことを指しているんですね。
熱い食べ物で口を火傷しても、喉を通ってしまえばその熱さを忘れてしまうという比喩は、とてもわかりやすいですよね。
皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。
失敗から学ぶことは大切ですが、かといって「羹に懲りて膾を吹く」ほど過度に警戒するのも問題。
そして「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ように、すぐに忘れてしまうのも問題。
この2つのことわざは、適度なバランスの大切さを教えてくれているのかもしれませんね。
後悔先に立たず
「後悔先に立たず」は、「こうかいさきにたたず」と読みます。
これは、すでに起こってしまったことを後悔しても、それを元に戻すことはできないという意味のことわざですね。
つまり、事前の用心や準備が大切で、事後の後悔では遅いということを教えてくれているんです。
「羹に懲りて膾を吹く」が「過度な用心」を戒めるのに対し、「後悔先に立たず」は「用心の大切さ」を説いているという点で対照的ですね。
ただし、完全な対義語というわけではなく、むしろ「適度な用心」の重要性を補完し合う関係とも言えるかもしれません。
この2つのことわざを併せて考えると、「失敗から学んで適切に用心すべきだが、やりすぎもよくない」というバランスの取れた教訓が浮かび上がってきますよね。
猪突猛進
「猪突猛進」は、「ちょとつもうしん」と読みます。
これは四字熟語で、猪が突進するように、目標に向かって周りを顧みず一直線に進んでいくことを表していますね。
勇敢さや情熱を褒める意味で使われることもあれば、無謀さや考えなしの行動を批判する意味で使われることもあるんですね。
「羹に懲りて膾を吹く」が示す「過度な慎重さ」とは正反対で、「慎重さの欠如」を表す表現と言えるでしょう。
過去の失敗を全く気にせず、同じ過ちを繰り返してしまう人は、この「猪突猛進」タイプかもしれませんね。
理想的なのは、「猪突猛進」すぎず、かといって「羹に懲りて膾を吹く」ほど臆病にもならず、適度な勇気と適度な慎重さのバランスを保つことなのかもしれませんね。
このバランス感覚を持つことが、人生においてとても大切なんでしょうね。
「英語」で言うと?
Once bitten, twice shy(一度噛まれたら、二度目は用心深くなる)
「Once bitten, twice shy」は、英語圏で最も一般的に使われる、「羹に懲りて膾を吹く」に相当する表現ですね。
直訳すると「一度噛まれたら、二度目は用心深くなる」という意味で、一度痛い目に遭った人は、次からは慎重になるということを表しているんですね。
日本語の「蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる」にも似た表現ですよね。
この表現は、犬や蛇などに噛まれた経験から来ていると言われています。
例えば、友人に一度裏切られた人が、その後人を信じにくくなった状況などで使われることが多いんですね。
「He was once bitten by a bad investment, so now he's twice shy about any financial risks.」(彼は一度悪い投資で痛い目に遭ったので、今は金融リスクについて非常に慎重になっている)のように使えますよ。
A burnt child dreads the fire(火傷した子どもは火を恐れる)
「A burnt child dreads the fire」も、「羹に懲りて膾を吹く」に近い意味を持つ英語表現ですね。
直訳すると「火傷した子どもは火を恐れる」という意味で、痛い経験をした人はその原因となったものを避けるようになるという人間の自然な心理を表していますよね。
「dread」は「恐れる」「怖がる」という意味の動詞で、単なる「fear(恐怖)」よりも強い恐怖心を表現しているんですね。
この表現は、特に子どもの頃の経験が後の行動に影響を与える状況で使われることが多いようです。
「She's a burnt child who dreads the fire of public speaking after her embarrassing presentation in school.」(彼女は学校での恥ずかしいプレゼンテーション以来、人前で話すことを非常に恐れている)といった使い方ができますね。
日本語のことわざと同様に、過去の経験から学ぶことは大切だけれど、それが過度な恐怖になってはいけないという教訓が込められているのかもしれませんね。
Scalded cat fears cold water(やけどした猫は冷たい水も怖がる)
「Scalded cat fears cold water」は、直訳すると「やけどした猫は冷たい水も怖がる」という意味になりますね。
これは「羹に懲りて膾を吹く」の英語表現としては最も直接的な対応関係にあると言えるでしょう。
熱湯でやけどした猫が、その後冷たい水まで怖がってしまうという状況は、まさに日本語のことわざと同じ構造ですよね。
「scald」は「やけどさせる」「熱湯をかける」という意味の動詞で、「burn」(火傷する)よりも特に熱い液体による火傷を指すことが多いんですね。
この表現も、必要のない警戒や過度な用心を表す際に使われます。
ただし、「Once bitten, twice shy」と比べると、この表現は少し古風で、現代英語ではあまり頻繁には使われないかもしれません。
それでも、文学作品や格言として引用されることはありますので、知っておくと教養の幅が広がるかもしれませんね。
まとめ
「羹に懲りて膾を吹く」は、一度の失敗から必要以上に用心深くなってしまう人間の心理を、ユーモラスに表現したことわざなんですね。
熱い汁物で火傷した人が、冷たい料理まで吹いて冷まそうとする姿は、少し滑稽でもあり、でも誰にでも思い当たる節があるのではないでしょうか。
私たちも、過去の失敗が強く記憶に残っていると、つい過剰に警戒してしまうことがありますよね。
もちろん、失敗から学んで慎重になることは大切です。
しかし、それが度を越して、新しいチャレンジを妨げたり、日常生活に支障をきたしたりするようでは本末転倒かもしれませんね。
このことわざが教えてくれるのは、「適度な用心」と「過度な警戒」の違いを見極めることの大切さなのかもしれません。
失敗を恐れすぎず、かといって無謀にもならず、バランスの取れた判断ができるようになりたいものですよね。
ビジネスシーンでも日常会話でも使える表現ですので、ぜひ適切な場面で使ってみてくださいね。
友人や同僚が過度に心配しているとき、このことわざを優しく引用すれば、緊張をほぐすきっかけになるかもしれませんよ。