
「李下に冠を正さず」ということわざ、聞いたことはあるけれど、正確な意味は?と聞かれると、ちょっと迷ってしまいますよね。
「李下」って何?「冠を正す」とどういう関係があるの?
このことわざは、中国の古典から伝わる深い教訓が込められた故事成語なんです。人から疑いをかけられるような行動は避けるべきという、現代のビジネスシーンや日常生活でも役立つ知恵が詰まっています。
この記事では、「李下に冠を正さず」の意味や由来、実際の使い方がわかる例文、さらには類語や対義語、英語表現まで、網羅的に解説していきます。
読み終わる頃には、自信を持ってこのことわざを使えるようになりますよ!
「李下に冠を正さず」を理解するための基礎知識

読み方
「李下に冠を正さず」は「りかにかんむりをたださず」と読みます。
「李下」の「李」は、果物のスモモを意味する漢字です。
「かんむり」は頭にかぶる冠のことで、「正す」は整える、直すという意味ですね。
ちょっと難しい読み方に感じるかもしれませんが、何度か声に出して読んでみると、すぐに覚えられますよ。
意味
「李下に冠を正さず」とは、人から疑いをかけられるような紛らわしい行為は避けるべきだという意味のことわざです。
具体的には、スモモの木の下で冠を直すと、まるで果実を盗もうとしているように見えてしまうため、そのような誤解を招く行動は控えましょう、という戒めなんです。
つまり、たとえ実際には何も悪いことをしていなくても、他人から見て怪しいと思われるような行動は取らない方が賢明だ、という教えですね。
身の潔白を証明するよりも、最初から疑われない立ち振る舞いをする方が大切だということです。
語源と由来
このことわざの由来は、中国の漢代に作られた楽府詩『君子行』という詩の一節にあります。
原文は「瓜田不納履、李下不正冠」(瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず)です。
さらにその前には「君子防未然、不処嫌疑間」(君子は未然を防ぎ、嫌疑の間に処らず)という句があり、これがこのことわざの核心を表しています。
賢明な人は疑いをかけられる状況を未然に防ぎ、疑わしい立場には身を置かないというわけです。
「瓜田に履を納れず」は、瓜(うり)畑で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われるという意味。
「李下に冠を正さず」は、スモモの木の下で冠を直すと、スモモを盗むと疑われるという意味です。
どちらも、実際には盗むつもりがなくても、その行動が誤解を招く可能性があるため、君子たる者はそのような行為を慎むべきだという教訓なんですね。
この二つの句は対句になっていて、セットで使われることも多いですが、日本では「李下に冠を正さず」の方が単独でよく使われています。
「使い方」がわかる「例文」3選

1:「李下に冠を正さず、上司と二人きりで飲みに行くのは避けている」
この例文は、職場での人間関係における配慮を示しています。
特に異性の上司と二人きりで会食すると、周囲から不適切な関係を疑われる可能性があります。
実際には純粋な仕事の相談や親睦であっても、噂の種になってしまうことがありますよね。
李下に冠を正さずの精神で、最初から疑われるような状況を作らないという賢明な判断です。
現代のビジネスマナーとしても、コンプライアンスの観点からも、こうした配慮は非常に大切ですね。
2:「会計担当者として、李下に冠を正さずの心構えで、私的な経費は一切使わない」
金銭を扱う立場にある人は、特に身の潔白を保つ必要があります。
会計担当や経理担当は、会社のお金を管理する重要な役職です。
たとえ100円のボールペン一本でも、私的に使用すれば横領の疑いをかけられる可能性があります。
この例文では、疑われる余地を一切残さないという強い決意が表れていますね。
信頼を築くには長い時間がかかりますが、失うのは一瞬です。
だからこそ、李下に冠を正さずの精神で、日頃から慎重に行動することが大切なんです。
3:「政治家たるもの、李下に冠を正さずで、利害関係者との会食は控えるべきだ」
公人、特に政治家は国民からの信頼が何より重要です。
特定の業界団体や企業関係者と頻繁に会食していると、癒着を疑われたり、便宜を図っているのではないかと思われたりします。
実際には何も不正がなくても、国民の目には不透明に映ってしまうんですね。
この例文は、公人としての自覚と責任を示しています。
政治とカネの問題は古くから指摘されてきましたが、李下に冠を正さずの精神で、疑惑を持たれるような行動を最初から避けることが、クリーンな政治への第一歩となるでしょう。
似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現
瓜田に履を納れず(かでんにくつをいれず)
「瓜田に履を納れず」は、「李下に冠を正さず」と対になっていることわざです。
瓜畑で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われるため、そのような行動は避けるべきという意味ですね。
基本的な教訓は「李下に冠を正さず」と全く同じです。
二つ合わせて「瓜田李下」(かでんりか)という四字熟語としても使われます。
これも疑いを招く場所には近づかないという意味です。
「李下に冠を正さず」との違いはほとんどなく、ほぼ同義語として使えます。
疑わしきは罰せず
「疑わしきは罰せず」は、法律用語としても知られる表現です。
証拠が不十分で疑わしいだけでは罰することはできない、という原則を示しています。
一見すると「李下に冠を正さず」と似ているように思えますが、実は視点が異なるんです。
「疑わしきは罰せず」は判断する側の心構えであり、疑いだけで人を裁いてはいけないという意味。
一方、「李下に冠を正さず」は行動する側の心構えであり、疑われる行動を自ら避けるという意味です。
つまり、判断される側と判断する側という違いがありますが、どちらも公正さや潔白さを重視している点では共通していますね。
君子危うきに近寄らず
「君子危うきに近寄らず」は、賢い人は危険な場所や状況には近づかないという意味のことわざです。
「李下に冠を正さず」と似ていますが、少しニュアンスが異なります。
「君子危うきに近寄らず」は、物理的な危険や実際のトラブルを避けるという意味合いが強いんです。
一方、「李下に冠を正さず」は、実際には何も悪いことをしていなくても、疑いをかけられる状況を避けるという意味です。
つまり、「君子危うきに近寄らず」は実害を避ける教訓、「李下に冠を正さず」は誤解や疑念を避ける教訓と言えるでしょう。
どちらも君子の振る舞いとして大切な心構えですね。
身から出た錆
「身から出た錆」は、自分の行いが原因で苦しむことになるという意味のことわざです。
これは「李下に冠を正さず」を守らなかった結果、起こりうる事態を表現していると言えます。
疑われるような行動を取ってしまったために、後で苦しむことになるわけです。
「李下に冠を正さず」が予防的な教訓であるのに対し、「身から出た錆」は結果としての教訓という違いがありますね。
つまり、李下に冠を正さずの精神で行動していれば、身から出た錆という事態は避けられるということです。
「対義語」は?
疑わしきは罰せず(判断される側の立場として)
先ほど類語としても紹介しましたが、見方を変えると対義的な側面もあります。
「李下に冠を正さず」は、疑われないように自ら行動を慎むという自己防衛的な姿勢です。
一方、「疑わしきは罰せず」は、たとえ疑われても証拠がなければ問題ないという権利主張的な姿勢とも取れます。
つまり、「自分から疑いを避ける」のか「疑いだけでは裁かれない」のか、という立場の違いがあるんですね。
とはいえ、どちらも公正な社会を作るために必要な考え方であることは間違いありません。
堂々と胸を張る
「堂々と胸を張る」は、後ろめたいことがないので自信を持って行動するという意味です。
「李下に冠を正さず」が疑われる可能性のある行動を避ける慎重さを示すのに対し、「堂々と胸を張る」は何も恐れず正々堂々と振る舞うという積極的な姿勢を示します。
悪いことをしていないなら、周りの目を気にせず堂々としていればいいという考え方ですね。
これは「李下に冠を正さず」の慎重さとは対照的です。
ただし、実社会では両方のバランスが大切です。
堂々としつつも、不要な誤解を招かない配慮も必要ということですね。
疑われても構わない
これは文字通り、他人からどう思われようと気にしないという姿勢です。
「李下に冠を正さず」が他人の目や評価を重視するのに対し、「疑われても構わない」は他人の目を気にしないという正反対の立場です。
自分の信念に基づいて行動し、周囲の評価は気にしないという生き方も一つの価値観ではあります。
しかし、社会生活を営む上では、やはり周囲との信頼関係も大切ですよね。
特に組織の中で働く場合や、公的な立場にある場合は、「李下に冠を正さず」の精神の方が適切でしょう。
状況に応じて使い分けることが肝心です。
「英語」で言うと?
Avoid suspicion(疑いを避ける)
最もシンプルで直接的な英語表現が「Avoid suspicion」です。
「avoid」は避ける、「suspicion」は疑いという意味ですから、そのまま「李下に冠を正さず」の核心を表現していますね。
ビジネスシーンでも日常会話でも使いやすい表現です。
例文としては、"As a public official, I must avoid suspicion in all my dealings."(公務員として、すべての取引において疑いを避けなければならない)のように使えます。
シンプルですが、「李下に冠を正さず」の教訓を的確に伝えられる表現です。
Caesar's wife must be above suspicion(シーザーの妻は疑いを超えた存在でなければならない)
これは古代ローマの故事から来た英語の慣用表現です。
ユリウス・カエサル(シーザー)が妻と離婚した際、「シーザーの妻は疑われるだけでも許されない」と言ったという逸話に由来しています。
つまり、高い地位にある者やその家族は、疑われること自体が許されないという意味です。
この表現は「李下に冠を正さず」と非常に近い概念を持っています。
東洋と西洋で、同じような教訓が存在するのは興味深いですね。
例文:"As the company president, you must remember that Caesar's wife must be above suspicion."(社長として、シーザーの妻は疑いを超えた存在でなければならないことを忘れないでください)
Don't give them ammunition(彼らに弾薬を与えるな)
これは比喩的な表現で、批判や攻撃の材料を与えないという意味です。
「ammunition」は弾薬のことで、敵に武器を与えないという意味から転じて、自分を批判する材料を相手に与えないという教訓になっています。
「李下に冠を正さず」と同様に、予防的な自己防衛の知恵ですね。
特に競争相手や敵対関係にある人に対して、弱みを見せないという文脈で使われます。
政治や ビジネスの世界でよく使われる表現です。
例文:"Be careful with your social media posts. Don't give them ammunition to use against you."(ソーシャルメディアの投稿には気をつけて。彼らがあなたに対して使える弾薬を与えないように)
まとめ
「李下に冠を正さず」は、人から疑いをかけられるような紛らわしい行動は避けるべきだという、中国の古典『君子行』から来た故事成語です。
スモモの木の下で冠を直すと、果実を盗むと疑われるという具体的な例から、誤解を招く行動を慎むという普遍的な教訓を示しています。
現代社会においても、ビジネスシーン、政治の場、日常生活のあらゆる場面で役立つ知恵ですね。
特に、お金を扱う立場、公的な立場、上下関係がある場面では、この心構えが非常に重要になります。
類語として「瓜田に履を納れず」「君子危うきに近寄らず」などがあり、英語では"Avoid suspicion"や"Caesar's wife must be above suspicion"といった表現が対応します。
たとえ実際には何も悪いことをしていなくても、疑われること自体が信頼を損なう原因になります。
だからこそ、「李下に冠を正さず」の精神で、最初から疑われる余地のない行動を心がけることが大切なんです。
信頼は築くのに時間がかかりますが、失うのは一瞬です。
日々の小さな行動の積み重ねが、あなたの評判と信頼を作り上げていきます。
ぜひ、この「李下に冠を正さず」という教訓を胸に、日常生活やビジネスシーンで実践してみてくださいね!