ことわざ

「親思う心にまさる親心」の意味や由来とは?例文でわかりやすく解説!

「親思う心にまさる親心」の意味や由来とは?例文でわかりやすく解説!

「親思う心にまさる親心」ということわざ、耳にしたことはありますよね。親子の愛情について語られる場面でよく使われる表現ですが、正確にどんな意味なのか、どこから生まれた言葉なのか、そう聞かれると迷ってしまう方も多いかもしれませんね。

実はこのことわざ、幕末の思想家・吉田松陰さんの処刑直前の歌から生まれた、とても深い背景を持つ言葉なんですね。親が子どもを思う気持ちの深さ、そして子どもが親を思う気持ちとの違いを、しみじみと感じさせてくれる表現です。

この記事では、「親思う心にまさる親心」の意味や由来、実際の使い方を示す例文、似た意味を持つ類語、反対の意味の対義語、さらには英語ではどう表現するのかまで、網羅的にご紹介していきますね。きっとこの記事を読み終わる頃には、このことわざの深い意味が心に響いてくるはずですよ。

「親思う心にまさる親心」を理解するための基礎知識

「親思う心にまさる親心」を理解するための基礎知識

読み方

「親思う心にまさる親心」は、「おやおもうこころにまさるおやごころ」と読みます。

「まさる」という部分が少し古風な表現なので、現代の私たちには馴染みが薄いかもしれませんね。でもこの「まさる」という言葉が、このことわざの核心部分を担っているんですね。「勝る」「優る」という意味で、「〜を上回る」「〜より優れている」という意味を持っています。

意味

子どもが親を思う気持ちよりも、親が子どもを思う慈愛の心のほうがはるかに深いという意味のことわざです。

子どもがどれだけ親のことを心配したり、感謝したりしていても、親が子どもに対して抱く愛情のほうが、それを上回るほど大きくて深いものだということを表現しているんですね。親の無償の愛、見返りを求めない愛情の深さを象徴する言葉として、多くの人の心に響く表現なんです。

私たちが親に対して「ありがとう」と思う気持ちがあったとしても、親は私たちが想像する以上に、もっともっと深く子どものことを思い続けているものなんですね。そんな親心の大きさを教えてくれることわざと言えるでしょう。

語源と由来

このことわざの由来は、吉田松陰さんが安政の大獄で処刑される直前に詠んだ辞世の歌にあります。1859年、幕末の激動の時代に、わずか29歳という若さでこの世を去ることになった松陰さんが、親に対する最後のメッセージとして残した歌なんですね。

その辞世の歌は次のような内容でした。
「親思ふ心にまさる親心 けふの音づれ何と聞くらん」

この歌の意味は、「私が親を思う心よりも、親が私を思う心のほうが優っている。今日、私が処刑されたという知らせを、親はどのような思いで聞くだろうか」というものなんですね。

吉田松陰さんは長州藩の藩士で、松下村塾という私塾を開いて多くの若者に教えを説いた思想家でした。尊王攘夷の思想を唱え、幕府を批判したことで安政の大獄という弾圧に巻き込まれ、処刑されてしまったんですね。

死を目前にした松陰さんは、自分が親より先に逝くという親不孝を嘆き、親がこの知らせを聞いたときの悲しみを思いやったのです。自分の信念のために命を捧げる覚悟を持ちながらも、最期の最期まで親のことを思っていた松陰さんの心情が、この歌に込められているんですね。

きっと松陰さん自身も親を深く思っていたはずです。でもその自分の気持ち以上に、親が自分の死を知ったときの悲しみはどれほど深いだろうかと想像し、心を痛めていたのでしょう。そんな松陰さんの思いが、後世に「親思う心にまさる親心」ということわざとして受け継がれていったんですね。

このことわざは、単に親子の愛情を語るだけでなく、命をかけて信念を貫いた一人の若者が、最期に示した親への深い思いやりという歴史的背景を持っているんです。だからこそ、このことわざを聞くとき、私たちの心に特別な重みが伝わってくるのかもしれませんね。

「使い方」がわかる「例文」3選

「使い方」がわかる「例文」3選

1:「息子が独り暮らしを始めたが、親思う心にまさる親心で、毎週のように様子を見に行ってしまう」

この例文は、子どもの独立という場面で使われていますね。

子どもが大学進学や就職で親元を離れるとき、子ども自身も「親は寂しいだろうな」と心配するものです。でも実際には、親のほうがもっともっと心配しているんですよね。子どもが思っている以上に、親は「ちゃんと食事をとっているかな」「体調を崩していないかな」「困っていることはないかな」と気にかけ続けているものなんです。

親の心配は、子どもが想像するよりはるかに深いという、まさに「親思う心にまさる親心」を体現した例と言えますね。

2:「成人式を迎えた娘は『今まで育ててくれてありがとう』と言ってくれたが、親思う心にまさる親心で、この子の幸せを願う気持ちはそれ以上だと感じた」

この例文は、成人式という人生の節目での親子のやりとりを表していますね。

子どもが大人になり、感謝の気持ちを言葉にしてくれるのは、親にとって何よりも嬉しいことですよね。でも親の側からすると、子どもからの感謝の気持ちを受け取ると同時に、「これからもずっとこの子の幸せを願い続けるだろう」という思いが湧き上がってくるものなんです。

子どもの感謝の気持ちも十分深いものですが、親の「これからも見守り続けたい」「幸せであってほしい」という思いは、それを上回るほど深く、そして永続的なものなんですね。人生の節目で改めて実感する親心を表現した使い方と言えるでしょう。

3:「親思う心にまさる親心というけれど、年を重ねるごとに親の気持ちがよくわかるようになってきた」

この例文は、少し自己省察的な使い方をしていますね。

若い頃は「親は心配しすぎだ」と感じていたことも、自分が年齢を重ね、もしかしたら自分自身が親になったりすると、「ああ、あのとき親はこんな気持ちだったんだ」と理解できるようになることがありますよね。

このことわざを引用しながら、自分自身の成長や気づきを表現する使い方です。過去を振り返り、親の愛情の深さを改めて実感する場面で使うと、とても味わい深い表現になりますね。こうした使い方は、日記やエッセイ、スピーチなどでも効果的かもしれません。

似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現

親の心、子知らず

「親の心、子知らず」は、親が子どもを思う深い愛情を、子どもは十分に理解できていないという意味のことわざです。

「親思う心にまさる親心」と非常に近い意味を持っていますが、こちらは少し子ども側の「理解不足」に焦点を当てた表現になっていますね。親の気持ちはとても深いのに、子どもはそれをなかなか理解できない、そんな親子間のギャップを表しているんです。

「親思う心にまさる親心」が親の愛情の深さそのものを称賛する表現であるのに対し、「親の心、子知らず」は「親の気持ちを子どもはわかっていない」という、やや嘆きのニュアンスも含んでいると言えるかもしれませんね。でも根底にあるのは同じく「親の愛情の深さ」というテーマです。

子を持って知る親の恩

「子を持って知る親の恩」は、自分自身が親になって初めて、親がどれだけ自分を大切に思ってくれていたかがわかるという意味のことわざです。

これは体験を通じて親の気持ちを理解するという側面を強調した表現ですね。実際に子育てを経験してみると、「親ってこんなに大変だったんだ」「こんなにも心配していたんだ」と実感することってありますよね。

「親思う心にまさる親心」が親子の愛情の比較を表すのに対して、こちらは「経験を通じた理解」という時間軸を含んだ表現になっています。でもどちらも親の愛情の深さ、偉大さを伝えるという点では共通しているんですね。

親の恩は海より深し

「親の恩は海より深し」は、親から受けた恩は海のように深く、計り知れないほど大きいという意味のことわざです。

これは「親思う心にまさる親心」とよく似た意味を持っていますが、「海」という自然のスケールを使って親の恩の大きさを表現している点が特徴的ですね。海の深さという誰もが想像できる比喩を使うことで、親の愛情や恩の測り知れない大きさを分かりやすく伝えているんです。

両方とも親の愛情の深さ・大きさを表現していますが、「親思う心にまさる親心」が「子どもの気持ち」と「親の気持ち」を比較する構造なのに対し、「親の恩は海より深し」は「親の恩」と「海の深さ」を比較する構造になっていますね。表現方法は違っても、伝えたいメッセージは同じなんです。

「対義語」は?

親の因果が子に報い

「親の因果が子に報い」は、親の行いの善し悪しが、子どもに影響を及ぼすという意味のことわざです。

これは親の行動や責任に焦点を当てた表現で、「親思う心にまさる親心」のような純粋な愛情の深さを讃える内容とは対照的ですね。親の無償の愛を表す「親思う心にまさる親心」に対して、こちらは親の行為が子どもに与える影響、特に負の側面を示すことが多いんです。

親子関係を「愛情」という視点で見るか、「因果応報」という視点で見るかという違いがあり、その意味で対義的な関係にあると言えるでしょう。

子に過ぎたる宝なし

「子に過ぎたる宝なし」は、子ども以上に大切な宝はないという意味のことわざです。

これは親から見た子どもの価値を表す言葉ですが、「親思う心にまさる親心」とは視点が異なりますね。「親思う心にまさる親心」は親の愛情の「深さ」や「大きさ」を表現するのに対し、「子に過ぎたる宝なし」は子どもという存在の「価値」や「大切さ」を表現しています。

親の愛情の質や深さを語る「親思う心にまさる親心」に対して、子どもの存在価値を語る「子に過ぎたる宝なし」は、親子関係の違う側面を切り取っているという意味で、対比的な関係にあると言えるかもしれませんね。

親孝行したい時には親はなし

「親孝行したい時には親はなし」は、親孝行をしようと思ったときには、すでに親が亡くなっていることが多いという意味のことわざです。

これは親孝行の機会を逃してしまう後悔を表す言葉で、「親思う心にまさる親心」とは全く異なる視点からの表現ですね。親の深い愛情を讃える「親思う心にまさる親心」に対して、こちらは子どもの側の後悔や反省を促す内容になっています。

親の愛情の素晴らしさを語る表現と、親孝行の機会を逃す悲しさを語る表現という意味で、対照的な関係にあると言えるでしょう。どちらも親子関係の大切さを伝えていますが、そのアプローチが正反対なんですね。

「英語」で言うと?

The love of a parent knows no bounds.(親の愛に境界はない)

この英語表現は、親の愛情には限界がなく、無限であるという意味を持っています。

「bounds」は「境界」や「限界」という意味で、「knows no bounds」で「限界を知らない」つまり「無限である」「計り知れない」という意味になるんですね。親の愛情がどれほど深く、どこまでも続くものであるかを表現した言い回しです。

「親思う心にまさる親心」が子どもの気持ちと比較して親の愛情の深さを表現するのに対し、この英語表現は親の愛情の「無限性」に焦点を当てているという違いがありますね。でも根底にある「親の愛は計り知れない」というメッセージは共通しています。

A parent's love is deeper than the ocean.(親の愛は海より深い)

この表現は、親の愛情は海の深さよりも深いという意味で、日本語の「親の恩は海より深し」にも似た表現ですね。

「ocean」(海)という自然のスケールを使って、親の愛情の深さを視覚的にイメージしやすくしている表現です。英語圏でも、親の愛情の深さを表現するときに「海」という比喩がよく使われるんですね。

「親思う心にまさる親心」と同様に、親の愛情の「深さ」というテーマを扱っていますが、英語ではより直接的に「海よりも深い」という比喩を使っている点が特徴的ですね。文化は違っても、親の愛情の深さを表現したいという人間の普遍的な思いは同じなのかもしれません。

No one loves you like your mother.(あなたの母親のようにあなたを愛する人はいない)

この英語表現は、母親ほどあなたを深く愛する人は他にいないという意味を持っています。

「like」は「〜のように」という意味で、「No one...like your mother」で「母親のような人は他にいない」という強調表現になっているんですね。特に母親の愛情の唯一性や特別性を強調した言い回しです。

「親思う心にまさる親心」が親全般の愛情を語るのに対し、この英語表現は特に「母親」に焦点を当てているという違いがありますね。でも「親の愛情は他の何にも代えがたい特別なもの」というメッセージは共通していますよね。英語圏では特に母親の愛が強調されることが多いという文化的特徴も見えてくる表現かもしれません。

まとめ

「親思う心にまさる親心」は、子どもが親を思う気持ち以上に、親が子どもを思う愛情のほうがはるかに深いという意味のことわざでしたね。

吉田松陰さんが処刑される直前に詠んだ辞世の歌から生まれたこの言葉には、信念のために命を捧げる若者が最期に示した親への深い思いやりという、歴史的な重みが込められているんです。

親の愛情は無償で、見返りを求めず、そして永続的であることを、この言葉は私たちに教えてくれますね。子どもの独立や成人式といった人生の節目で、改めて親の気持ちに思いを馳せるときに使うと、とても心に響く表現になるでしょう。

私たちが親に対して感謝の気持ちを持っているとしても、親はそれ以上に私たちの幸せを願い続けているものです。そんな親心の深さに気づいたとき、このことわざの本当の意味が心に染みてくるのかもしれませんね。

日常の中で親子の関わりについて話すとき、あるいは自分自身の親への思いを振り返るときに、ぜひこの「親思う心にまさる親心」という言葉を思い出してみてください。きっと親との関係を見つめ直す良いきっかけになるはずですよ。