「兄弟は他人の始まり」ということわざを聞いたことはありますよね。小さい頃は仲良かった兄弟姉妹が、大人になるとだんだん疎遠になっていく様子を表した言葉なんですね。でも、正確にはどういう意味なのか、どんな場面で使うのか、詳しく説明できる人は少ないかもしれませんね。
もしかしたら、自分自身の兄弟関係を振り返って、このことわざを調べている方もいるかもしれません。あるいは、文学作品や日常会話で耳にして、その意味をきちんと知りたいと思っているのかもしれませんね。
この記事では、「兄弟は他人の始まり」の意味・由来・例文を丁寧に解説していきます。さらに、類語や対義語、英語表現まで幅広く紹介しますので、このことわざについて総合的に理解できるようになりますよ。ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
「兄弟は他人の始まり」を理解するための基礎知識

まずは、このことわざの基本的な情報から見ていきましょう。読み方や意味、そして由来について詳しく解説していきますね。
読み方
「兄弟は他人の始まり」は、「きょうだいはたにんのはじまり」と読みます。
「兄弟」という漢字は「けいてい」とも読みますが、このことわざでは「きょうだい」と読むのが一般的なんですね。兄弟姉妹すべてを含む広い意味で使われているため、性別を問わない「きょうだい」という読み方が適しているんです。
意味
「兄弟は他人の始まり」は、兄弟姉妹も成長すれば利害関係や結婚などによって、お互いの愛情が薄れ、やがて他人のようになってしまうということを示すことわざです。
子どもの頃は一緒に遊び、喧嘩もしながら仲良く育った兄弟姉妹でも、大人になってそれぞれが独立し、結婚して家庭を持つようになると、自然と距離が生まれてしまうんですね。妻や夫、子どもへの愛情が中心になり、実の兄弟との交流が減っていく様子を表しています。
このことわざには、血を分けた家族であっても、人生の節目や生活環境の変化によって、気づかないうちに疎遠になってしまうという、人間関係の寂しさや複雑さが込められているんですね。
決して「兄弟仲が悪い」という意味ではなく、自然な成長や生活の変化の中で、お互いの関心や優先順位が変わっていくことを示しているんです。
語源と由来
「兄弟は他人の始まり」の由来については、はっきりとした起源は分かっていませんが、古くから日本で語り継がれてきたことわざなんですね。
このことわざは、岡本かの子さんの『仏教読本』(1934年)にも記載されており、少なくとも昭和初期には広く知られていたことがわかります。おそらくは江戸時代やそれ以前から、庶民の生活の中で自然に生まれた言葉なのかもしれませんね。
このことわざが生まれた背景には、家族制度や結婚の仕組みが関係していると考えられます。かつての日本では、長男が家を継ぎ、次男以降は分家するか別の家に仕えるという習慣がありました。また、結婚すると女性は夫の家に入り、実家との関係が薄くなることもありましたよね。
さらに、相続や財産分与といった利害関係が兄弟間に生じることで、血のつながりがあっても対立したり疎遠になったりすることがあったんですね。そうした現実を踏まえて、「兄弟といえども、結局は他人のようになってしまうものだ」という人生の教訓として語られるようになったと思われます。
また、仏教的な考え方の影響もあるかもしれません。仏教では「一切皆苦」という教えがあり、人間関係も永遠に続くものではなく、変化していくものだという考え方があります。このような思想が、ことわざの背景にあるのかもしれませんね。
「使い方」がわかる「例文」3選

それでは、「兄弟は他人の始まり」の実際の使い方を例文で見ていきましょう。どんな場面でこのことわざが使われるのか、具体的なシーンをイメージしながら読んでみてくださいね。
1:「小さい頃はあんなに仲良しだったのに、お互いが結婚してからは年賀状のやり取りだけになってしまったね。兄弟は他人の始まりとはよく言ったものだ」
この例文は、兄弟姉妹の関係が時間とともに変化した状況を振り返る場面で使われていますね。
結婚という人生の大きな節目を迎えると、どうしても自分の家庭が中心になります。配偶者や子どもとの時間が優先され、実の兄弟姉妹と会う機会が減っていくのは、多くの人が経験することかもしれませんね。
この例文では、かつての親密な関係と現在の疎遠な関係を対比させることで、「兄弟は他人の始まり」という言葉の意味を実感している様子が伝わってきますよね。
少し寂しさを含んだ表現ですが、決して誰かを責めているわけではなく、人生の自然な流れとして受け止めている感じが出ているんですね。
2:「父の遺産相続の話し合いで兄と意見が対立してしまって、それ以来連絡を取っていないんだ。兄弟は他人の始まりというけれど、まさにその通りだね」
この例文は、利害関係が兄弟姉妹の仲を引き裂いてしまったという、より深刻な状況を表していますね。
遺産相続は、兄弟姉妹の関係が悪化する代表的な原因の一つなんです。それぞれに家庭があり、生活があるため、どうしても自分の立場や利益を主張せざるを得ない場面が出てきてしまうんですね。
「血を分けた兄弟なのに、お金の問題でこんなにも対立してしまうなんて」という驚きや悲しみが、このことわざには込められています。この例文は、ことわざの持つやや重い側面を表現しているんですね。
金銭問題や相続は、本当にデリケートな問題ですよね。このような場面で「兄弟は他人の始まり」という言葉を使うと、状況の深刻さや複雑さを的確に伝えることができるんです。
3:「姉は東京で働いていて、私は地元に残ったから、生活スタイルも価値観も違ってきちゃって。たまに会っても話が合わないんだよね。兄弟は他人の始まりって、こういうことなのかな」
この例文は、生活環境の違いが兄弟姉妹の距離を生むという、現代的な状況を表していますね。
必ずしも喧嘩や対立があるわけではないけれど、それぞれの人生を歩む中で、自然と共通点が少なくなっていく様子が描かれています。住む場所が違い、仕事が違い、付き合う人が違えば、話題も価値観も変わってくるのは当然のことかもしれませんね。
この例文には、「悪いわけじゃないけれど、なんとなく距離を感じる」という、微妙な感情が表れていますよね。決して仲が悪いわけではないけれど、昔のように親密ではない、そんな関係性を「兄弟は他人の始まり」という言葉で表現しているんですね。
日常会話の中で、ちょっとした感慨を込めて使える例文だと言えるでしょう。
似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現
「兄弟は他人の始まり」と似た意味を持つことわざや表現を見ていきましょう。それぞれ微妙にニュアンスが異なるので、違いを理解すると表現の幅が広がりますよ。
血は水よりも濃い
「血は水よりも濃い」は、血縁関係は他のどんな関係よりも強い絆があるという意味のことわざです。
あれ?と思いましたよね。実は、このことわざは「兄弟は他人の始まり」と正反対の意味を持っているんです。「血は水よりも濃い」は血のつながりの強さを強調するのに対して、「兄弟は他人の始まり」は血のつながりがあっても疎遠になることを示していますからね。
ただし、どちらも「血縁関係」について語っている点では共通しています。人間関係における血縁の意味を、異なる角度から捉えた言葉だと言えるでしょう。
「血は水よりも濃い」を使う場面と「兄弟は他人の始まり」を使う場面は、全く逆になるので注意が必要ですね。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世
「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」は、仏教的な考え方に基づいて、人間関係の深さを表現したことわざです。
親子の縁は一世代だけ、夫婦の縁は二世代、主従の縁は三世代にわたるという意味で、関係性の長さや深さを示しています。このことわざの中で兄弟姉妹については触れられていないのが興味深いですよね。
親子関係と比べると、兄弟関係はより疎遠になりやすいという点で、「兄弟は他人の始まり」と共通する考え方があるんですね。両方とも、家族関係の中でも絆の強さに差があることを示しているんです。
遠くの親類より近くの他人
「遠くの親類より近くの他人」は、遠くに住む親戚よりも、近所に住む他人のほうが頼りになるという意味のことわざですね。
このことわざも「兄弟は他人の始まり」と似た考え方を持っています。血縁関係があっても、物理的・心理的に距離があれば実際には役に立たないことを示しているんですね。
「兄弟は他人の始まり」が時間の経過による関係の変化を表すのに対して、「遠くの親類より近くの他人」は距離や実際の付き合いの深さを重視しているという違いがあります。でも、どちらも「血縁だけでは十分ではない」という点では共通していますよね。
親族の恥は身の恥
「親族の恥は身の恥」は、親族がしたことは自分自身の恥でもあるという意味のことわざです。
一見すると「兄弟は他人の始まり」と関連がないように思えますが、実は裏返しの関係にあるんですね。親族の行動が自分に影響するということは、それだけ強い結びつきがあるということ。でも同時に、そうした結びつきが負担になることもあるわけです。
「兄弟は他人の始まり」は、そうした負担から逃れるように、自然と距離を置いていく人間の心理を表しているのかもしれませんね。親族との関係性の複雑さを示している点で、間接的に類似した表現だと言えるでしょう。
「対義語」は?
「兄弟は他人の始まり」とは反対の意味を持つことわざも見ていきましょう。これらの言葉は、兄弟姉妹の絆の強さや大切さを強調しているんですね。
兄弟は両の手
「兄弟は両の手」は、兄弟姉妹は右手と左手のように、互いに助け合う存在であるという意味のことわざです。
両手がそろって初めて物をしっかりと掴めるように、兄弟姉妹が協力し合うことで人生の困難を乗り越えられるという教えなんですね。まさに「兄弟は他人の始まり」とは正反対の考え方ですよね。
このことわざは、兄弟姉妹の協力関係の重要性を説いています。「兄弟は他人の始まり」が現実の変化を描いているのに対して、「兄弟は両の手」は理想的な兄弟像を示しているとも言えるでしょう。
どちらのことわざも真実の一面を捉えているんですね。状況によって、兄弟関係は「両の手」のようにもなれば、「他人の始まり」のようにもなるということかもしれません。
兄弟は手足なり
「兄弟は手足なり」は、兄弟姉妹は自分の手足のように大切で、なくてはならない存在であるという意味のことわざです。
手や足を失えば日常生活が困難になるように、兄弟姉妹を失うことは大きな損失であるという考え方なんですね。「兄弟は両の手」とほぼ同じ意味ですが、手足という表現を使うことで、さらに不可欠な存在であることを強調しています。
このことわざも「兄弟は他人の始まり」とは対照的ですよね。一方は疎遠になる現実を、もう一方は強い絆の理想を表しているんです。
実際の兄弟関係は、この両極端の間のどこかにあるのかもしれませんね。時には疎遠になることもあれば、困ったときには助け合える、そんな関係が多いのではないでしょうか。
兄弟(けいてい)は左右(さゆう)の手の如(ごと)し
「兄弟(けいてい)は左右(さゆう)の手の如(ごと)し」は、やや古風な言い回しですが、兄弟は左右の手のように協力し合うべきだという意味のことわざです。
「兄弟は両の手」とほぼ同じ意味ですが、こちらは漢文調の表現で、より格式ばった印象がありますね。儒教的な考え方の影響を受けた言葉だと考えられています。
儒教では家族の調和や兄弟間の友愛(兄弟愛)を重視していたため、こうした教えが日本にも伝わってきたんですね。「兄弟は他人の始まり」が庶民的な生活実感から生まれた言葉だとすれば、「兄弟は左右の手の如し」は儒教的な理想を説く教訓だと言えるでしょう。
現代ではあまり使われない表現かもしれませんが、兄弟姉妹の理想的な関係を示す言葉として知っておくと良いですね。
「英語」で言うと?
「兄弟は他人の始まり」を英語で表現するには、いくつかの方法があります。それぞれ異なる視点から兄弟関係の変化を表現しているので、見てみましょう。
Though they are brothers, their pockets are not sisters.(兄弟であっても、財布は姉妹ではない)
この英語表現は、兄弟であっても経済的には別々であるという意味なんですね。
「財布は姉妹ではない」という比喩的な表現が面白いですよね。兄弟同士でも金銭的には独立しており、お互いの財産は別物だという現実を表しています。
このことわざは、利害関係によって兄弟が疎遠になるという「兄弟は他人の始まり」の一面を捉えていますね。特に遺産相続や金銭問題で兄弟が対立する状況を表現する際に適している表現だと言えるでしょう。
欧米でも日本と同様に、お金の問題が兄弟姉妹の関係を悪化させることがあるんですね。人間関係におけるお金の影響は、文化を超えた共通の課題なのかもしれません。
Brothers are incipient strangers.(兄弟は始まりつつある他人である)
この表現は、兄弟は他人になりつつある存在だという意味で、日本語の「兄弟は他人の始まり」をかなり直訳的に表現していますね。
「incipient」という単語は「初期の」「始まりつつある」という意味で、まさに「始まり」を表す言葉なんです。この英語表現は、日本のことわざの意味を忠実に伝えようとしたものだと考えられます。
ただし、これは必ずしも一般的な英語のことわざではなく、日本のことわざを英訳したものかもしれませんね。英語圏でこのまま使っても通じない可能性があるので、説明を加えた方が良いでしょう。
In the final analysis, blood is no thicker than water.(結局のところ、血は水より濃くはない)
この英語表現は、最終的には血縁関係も水のようなものだという意味なんですね。
実は「Blood is thicker than water(血は水よりも濃い)」という英語のことわざがあって、これは「血縁関係は何よりも強い」という意味です。今回の表現は、その否定形になっているんですね。
「In the final analysis(結局のところ)」という前置きをつけることで、理想と現実のギャップを示しています。血縁は大切だと言われるけれど、結局のところは他の関係と変わらない、という現実的な見方を表現しているんですね。
この表現は、「兄弟は他人の始まり」の持つ、やや諦観的なニュアンスをうまく英語で伝えていると言えるでしょう。血縁関係に対する理想と現実の乖離を示している点で、元のことわざの意味に近いですね。
まとめ
「兄弟は他人の始まり」ということわざについて、詳しく見てきましたね。
このことわざは、兄弟姉妹も成長すれば利害関係や結婚などによって、お互いの愛情が薄れ、やがて他人のようになってしまうという人生の現実を表しています。子どもの頃は仲良くても、大人になって独立し、それぞれの家庭を持つと、自然と疎遠になってしまうことを示しているんですね。
由来ははっきりしませんが、昭和初期にはすでに広く知られており、古くから日本人の生活実感として語り継がれてきた言葉なんです。相続問題や生活環境の違いなど、具体的な状況を通じて兄弟姉妹の距離が生まれる様子を表現しています。
一方で、「兄弟は両の手」「兄弟は手足なり」といった対義語もあり、兄弟姉妹の絆の大切さを説く言葉も存在します。どちらも真実の一面を捉えていて、実際の兄弟関係は状況によって変化するものなんですね。
このことわざを知っておくと、家族関係の複雑さや人間関係の変化を的確に表現できるようになります。遺産相続の話題や、久しぶりに兄弟姉妹と会ったときの感想など、様々な場面で使える言葉ですよ。
もしかしたら、このことわざを知ることで、自分自身の兄弟姉妹との関係を見つめ直すきっかけになるかもしれませんね。疎遠になっている兄弟がいたら、久しぶりに連絡を取ってみるのも良いかもしれません。「兄弟は他人の始まり」という現実を知っているからこそ、その関係を大切にしようと思えるのではないでしょうか。
ぜひ、日常会話や文章の中で「兄弟は他人の始まり」を使ってみてくださいね。きっと、家族関係の微妙なニュアンスを伝えるのに役立つはずですよ。