
「威あって猛からず」ということわざ、耳にしたことはあるけれど、正確な意味は?と聞かれると、ちょっと迷ってしまいますよね。なんとなく威厳があるという雰囲気は伝わってくるものの、どんな場面で使えばいいのか、どういう人を表すのか、はっきりとはわからないという方も多いかもしれませんね。
この記事では、「威あって猛からず」の意味や由来を詳しく解説していきます。例文を通じて具体的な使い方を学べるだけでなく、類語や対義語、さらには英語表現まで網羅的にご紹介しますので、きっとこのことわざへの理解が深まるはずですよ。
実はこの言葉、古代中国の思想家・孔子の人柄を表した表現なんですね。リーダーシップのあり方や理想的な人格について考えるとき、今でも多くの人に参考にされている名言なんです。それでは一緒に、この奥深い言葉の世界を探っていきましょう。
「威あって猛からず」を理解するための基礎知識

読み方
「威あって猛からず」は、「いあってたけからず」と読みます。
「威」は「い」と読みますが、「猛」を「たけ」と読むところがポイントですね。現代では「もう」と読むことが一般的な「猛」という字ですが、この四字熟語では訓読みの「たけ」が使われているんですね。古典的な表現だからこそ、こうした読み方が残っているのかもしれません。
また、「威ありて猛からず」(いありてたけからず)という表現もあります。「あって」と「ありて」の違いだけで、意味は同じなんですよ。
意味
「威あって猛からず」は、威厳がありながらも荒々しくなく、温厚であるという意味を持つ四字熟語です。
もう少し詳しく見ていくと、「威」は威厳や威光、つまり人を敬服させる雰囲気や気品のことを指します。一方の「猛」は激しさや荒々しさを表す言葉なんですね。「〜からず」は「〜ではない」という否定の意味ですから、全体としては「威厳はあるけれども激しくはない」「見た目は厳格だけれど、中身は優しい」という意味になるわけです。
現代で言えば、親しみやすい威厳を持つ理想的なリーダー像を表現している言葉だと考えるとわかりやすいかもしれませんね。部下や後輩から尊敬されながらも、厳しすぎず温かみがある、そんな人物を指す言葉なんです。
語源と由来
「威あって猛からず」の由来は、中国の古典『論語』にあります。孔子の人格を評した言葉として伝えられているんですね。
『論語』の「述而第七」または「堯曰第二十」には、「子温にして厲し、威にして猛からず、恭にして安し」という一節が登場します。これは孔子の弟子たちが、師である孔子の人柄を表現した言葉なんですね。全文を現代語訳すると、「孔子様は温和でありながら厳しく、威厳がありながら荒々しくなく、恭しくありながら安らかである」という意味になります。
この中の「威にして猛からず」の部分が、四字熟語として独立して使われるようになったのが「威あって猛からず」なんですよ。つまり、約2500年前の孔子の時代から、理想のリーダー像として語り継がれてきた表現だということですね。
孔子は、君子(理想的な人格者やリーダー)が持つべき「五美」(五つの美徳)の一つとして、この「威あって猛からず」を挙げています。強制力や恐怖で人を従わせるのではなく、自然な威厳によって人々に慕われる、そんな人格を理想としていたことがわかりますよね。
歴史的に見ても、この言葉は政治家や軍人、教育者など、多くの人を導く立場にある人々の理想像として引用されてきました。現代でも、上司や先生、リーダーの評価に用いられているのは、きっとこの言葉が持つ普遍的な価値が今も変わらず重要だからなんでしょうね。
「使い方」がわかる「例文」3選

1:「新しい校長先生は威あって猛からずという感じで、生徒たちからも職員室でも評判がいいんです」
この例文は、学校という教育現場での使用例ですね。校長先生という、学校全体を統率する立場にある人物の人柄を表現しています。
「威あって猛からず」という表現を使うことで、厳格さと親しみやすさを兼ね備えた理想的なリーダーであることが一言で伝わりますよね。生徒からも教師からも尊敬されているという状況が、まさにこの四字熟語にぴったり当てはまるんです。
厳しいだけの校長先生でもなく、ただ優しいだけの校長先生でもない、そのバランスの取れた人格を褒める表現として使われていますね。こういう先生のもとでは、きっと学校全体の雰囲気も良好なんだろうなと想像できますよね。
2:「彼は部長になってから威あって猛からずの姿勢を貫いていて、部下からの信頼も厚い」
こちらはビジネスシーンでの使用例です。部長という管理職の立場にある人物の評価として使われています。
会社組織では、上司と部下という関係性の中で、どのようにリーダーシップを発揮するかが重要になってきますよね。この例文では、威厳を保ちながらも高圧的にならないという、部長としての理想的な態度を表現しているんです。
「威あって猛からず」というスタイルだからこそ、部下からの信頼が厚いという結果につながっているわけですね。恐怖で支配するのではなく、尊敬によって人を導くリーダーシップのあり方が、この一言に込められているんですよ。
3:「その政治家は威あって猛からずで国民からの支持も高く、理想的なリーダー像だと評価されている」
最後は政治の世界での使用例です。政治家という、国や地域を代表する立場の人物を評価する場面で使われていますね。
政治家には、国民を正しい方向へ導く力強さと同時に、国民に寄り添う優しさが求められますよね。威厳があるからこそ国の代表としての風格があり、荒々しくないからこそ国民から親しまれるという、両方の要素を兼ね備えた人物像を表現しているんです。
実際に政治の世界では、あまりに強権的すぎると批判され、かといって弱腰では信頼を失ってしまいますから、この「威あって猛からず」というバランス感覚は本当に大切なんでしょうね。
似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現
温厚篤実(おんこうとくじつ)
「温厚篤実」は、性格が穏やかで優しく、誠実であるという意味の四字熟語です。
「威あって猛からず」との共通点は、どちらも温和な性格を表している点ですね。ただし違いもあって、「温厚篤実」は威厳や厳しさについては特に触れていないんです。純粋に優しくて誠実な人柄を表現する言葉なんですね。
一方「威あって猛からず」は、威厳があることが前提になっています。つまり、リーダーとしての風格や存在感があった上で、温和であるという意味合いが強いんですよ。このニュアンスの違いを理解すると、使い分けがしやすくなりますよね。
柔よく剛を制す(じゅうよくごうをせいす)
「柔よく剛を制す」は、柔軟なものが硬いものに勝つという意味のことわざです。弱く見えるものが、実は強いものを制することができるという教えですね。
この言葉と「威あって猛からず」の類似点は、どちらも強さの本質が暴力的な力ではないことを示している点です。「柔よく剛を制す」では柔軟性や柔らかさこそが真の強さだと説いていますし、「威あって猛からず」では威厳が荒々しさによるものではないことを示していますからね。
ただ「柔よく剛を制す」は戦略的な強さを強調しているのに対し、「威あって猛からず」は人格的な魅力を強調している点で、使われる文脈が少し違うかもしれませんね。
鬼の目にも涙
「鬼の目にも涙」は、どんなに厳しい人でも時には情に動かされることがあるという意味のことわざです。
一見すると怖そうな人、厳格な人にも、実は優しい心や人情があるという点で、「威あって猛からず」と通じるものがありますよね。外見や第一印象は威圧的でも、内面には温かさがあるという人物像を描いているんです。
ただし「鬼の目にも涙」は、普段は厳しいけれど時々優しい一面を見せるというニュアンスなのに対し、「威あって猛からず」は常に威厳と温和さを兼ね備えているという恒常的な性質を表している点で違いがあるんですね。
外柔内剛(がいじゅうないごう)
「外柔内剛」は、外見は柔和だが内面は強い信念を持っているという意味の四字熟語です。
「威あって猛からず」と似ているようで、実は対照的な面もあるんですよ。「外柔内剛」は外が柔らかく中が硬いのに対し、「威あって猛からず」は外に威厳があって中が温和なんですね。ちょうど逆の構造になっているわけです。
でも、どちらも表面と内面のギャップが魅力的な人格を作り出しているという点では共通していますよね。見た目だけで判断してはいけない、人間の多面性を表現した言葉だと言えるかもしれません。
「対義語」は?
暴虐無道(ぼうぎゃくむどう)
「暴虐無道」は、乱暴で道理をわきまえず、むごたらしいという意味の四字熟語です。
これはまさに「威あって猛からず」の対極にある言葉ですね。威厳どころか暴力的で、温和さのかけらもない状態を表しています。恐怖によって人を支配しようとする最悪のリーダー像と言えるでしょう。
歴史上の暴君や独裁者を表現する際に使われることが多い言葉です。「威あって猛からず」が理想的なリーダーなら、「暴虐無道」は最も避けるべきリーダー像ということになりますね。
傲岸不遜(ごうがんふそん)
「傲岸不遜」は、態度が大きく、人を見下して礼儀がないという意味の四字熟語です。
威厳があるように見えても、それが傲慢さから来ている場合、それは「威あって猛からず」とは正反対の性質になってしまうんですね。本当の威厳は人格から自然ににじみ出るものですが、「傲岸不遜」な態度は単なる横柄さでしかありません。
こうした人は一時的には権力で人を従わせられるかもしれませんが、真の尊敬を得ることはできないでしょう。「威あって猛からず」を目指す上で、最も気をつけなければならない落とし穴だと言えるかもしれませんね。
鬼面仏心の逆:仏面鬼心
「仏面鬼心」(ぶつめんきしん)は、顔は仏のように優しそうだが、心の中は鬼のように冷酷という意味です。
「威あって猛からず」が外見の威厳と内面の温和さを表すのに対し、「仏面鬼心」は外見の優しさと内面の冷酷さを表していますね。どちらも表と裏のギャップを表現していますが、内面の性質が真逆なんです。
「威あって猛からず」な人は見た目以上に優しいですが、「仏面鬼心」な人は見た目に反して冷たい、ということですね。人を見る目を養う上で、表面だけでなく本質を見抜くことの大切さを教えてくれる対比だと思いませんか?
「英語」で言うと?
Gentle but firm(優しくも毅然としている)
「Gentle but firm」は、直訳すると「優しいけれども確固たる」という意味になります。
この表現は「威あって猛からず」の精神をよく捉えていますよね。「gentle」が温和さや穏やかさを、「firm」が揺るぎない強さや毅然とした態度を表しているんです。ビジネスシーンや教育現場で、理想的なリーダーシップを表現する際によく使われる英語表現なんですよ。
例えば「She is a gentle but firm leader.」(彼女は優しくも毅然としたリーダーです)というように使えます。威圧的ではないけれど、しっかりとした芯を持っているという人物像を伝えることができるんですね。
Commanding presence without being overbearing(威圧的にならずに存在感がある)
「Commanding presence without being overbearing」は、より具体的に「威あって猛からず」の意味を表現した英語です。
「Commanding presence」は「人を引きつける存在感」や「統率力のある雰囲気」を意味し、「without being overbearing」は「威圧的にならずに」という意味ですね。つまり、人々を自然と引きつける力があるけれど、高圧的ではないという、まさに理想的なリーダー像を表現しているんです。
この表現は少し長めですが、「威あって猛からず」のニュアンスを英語話者に伝える際には非常に適切な言い方だと言えるでしょう。
Authority with kindness(親切さを伴った権威)
「Authority with kindness」は、シンプルながらも「威あって猛からず」の本質を捉えた表現です。
「Authority」は権威や威厳を表し、「kindness」は親切さや優しさを表していますね。「with」という前置詞で結ばれることで、権威と優しさが共存していることを示しているんです。
例えば「He leads with authority with kindness.」(彼は親切さを伴った権威をもってリードしている)というように使うことができます。権力や地位があっても人に優しく接することができる、そんな人格者を表現する際にぴったりの英語表現だと思いませんか?
まとめ
「威あって猛からず」は、威厳がありながらも荒々しくなく温厚であるという意味の四字熟語で、約2500年前の孔子の時代から理想のリーダー像として語り継がれてきた言葉なんですね。
『論語』に由来するこの表現は、単に優しいだけでも、厳しいだけでもない、そのバランスの取れた人格の素晴らしさを教えてくれます。外見の威厳と内面の温かさを兼ね備えた人は、恐怖ではなく尊敬によって人を導くことができるんですよ。
現代でも、職場の上司や学校の先生、政治家など、人の上に立つ立場の方々を評価する際に使われることが多いこの言葉。もしかしたら、あなたの周りにも「威あって猛からず」な素敵なリーダーがいらっしゃるかもしれませんね。
また、自分自身がリーダーの立場にある方は、この言葉を心に留めておくと、きっと良い指針になるはずです。威厳を持ちながらも人に優しく接する、そんな人格を目指してみてはいかがでしょうか。
ぜひ今日から、「威あって猛からず」という言葉を日常会話の中で使ってみてくださいね。きっと、あなたの語彙力や教養の深さが伝わって、周りの方からも一目置かれるようになるかもしれませんよ。