ことわざ

「義を見て為ざるは勇なきなり」の意味や由来とは?例文でわかりやすく解説!

「義を見て為ざるは勇なきなり」の意味や由来とは?例文でわかりやすく解説!

「義を見て為ざるは勇なきなり」って、どこかで聞いたことがあるけれど、実際にどういう意味なのか、正確に説明できる人は少ないかもしれませんね。何となく「正しいことをしなさい」という教えだとは感じるものの、具体的にどんな場面で使えばいいのか、どんな背景があるのか、気になりますよね。

実はこのことわざ、中国の古典『論語』に由来する、約2500年も前から伝わる深い教えなんですね。現代でも座右の銘として多くの人に愛されている言葉なんです。

この記事では、「義を見て為ざるは勇なきなり」の意味や由来、使い方を例文とともにわかりやすく解説していきますね。さらに、類語や対義語、英語での表現も紹介しますので、この言葉を日常生活でも使えるようになりますよ。それでは一緒に見ていきましょう。

「義を見て為ざるは勇なきなり」を理解するための基礎知識

「義を見て為ざるは勇なきなり」を理解するための基礎知識

読み方

「義を見て為ざるは勇なきなり」は、「ぎをみてせざるはゆうなきなり」と読みます。

ちょっと古い言葉なので、読みにくいかもしれませんね。「為ざる」は「せざる」と読むのがポイントですよ。「為す(なす)」という言葉の否定形なんですね。

また、「勇」は「ゆう」と音読みします。「いさみ」などと読み間違えないように気をつけてくださいね。

意味

「義を見て為ざるは勇なきなり」は、「正しいこと(義)だとわかっていながら、それを実行しないのは、勇気がないからだ」という意味です。

もう少し詳しく説明しますね。「義」とは、人として当然行うべき正しい道のことです。道徳的に正しいこと、正義のことを指しているんですね。

「為ざる」は「しない」という意味ですから、「正しいとわかっているのにしない」ということになります。そして「勇なきなり」は「勇気がないのだ」という意味なんです。

つまりこのことわざは、正しいと知っていながら行動しないのは、心の弱さや勇気の欠如を示していると教えているんですね。私たちの心の弱さを戒める、厳しくも温かい教訓だと言えるかもしれません。

語源と由来

「義を見て為ざるは勇なきなり」は、中国の古典『論語』の「為政篇」に出てくる孔子さんの言葉が由来なんですね。

原文は「見義不為、無勇也」(義を見て為さざるは、勇なきなり)となっています。約2500年前、紀元前5世紀頃の言葉なんですよ。そんな昔の言葉が今でも使われているって、すごいことですよね。

『論語』は孔子さんとその弟子たちの言行録で、儒教の基本的な教えが詰まった書物です。日本でも江戸時代には武士の教養として広く読まれていましたし、現代でもビジネス書や自己啓発書で頻繁に引用されているんですね。

この言葉が出てくる文脈も興味深いんです。『論語』為政篇では、「非其鬼而祭之、諂也」(自分の祖先でもない霊を祭るのは、へつらいである)という言葉と対比して、この「義を見て為ざるは勇なきなり」が語られています。

つまり、不正なことに迎合するのも間違いだけれど、正しいとわかっていながら行動しないのも勇気がなくて恥ずかしいことだと孔子さんは教えているんですね。

この教えは時代を超えて、人間の本質的な弱さと向き合うための指針として受け継がれてきました。現代でも座右の銘として多くの人に愛されているのは、きっと私たち一人ひとりが「わかっているけど行動できない」という経験を持っているからかもしれませんね。

「使い方」がわかる「例文」3選

「使い方」がわかる「例文」3選

それでは、実際に「義を見て為ざるは勇なきなり」がどのように使われるのか、具体的な例文を見ていきましょう。日常生活からビジネスシーンまで、さまざまな場面で使える表現なんですよ。

1:「電車で席を譲らなかったことを後悔しているなら、まさに義を見て為ざるは勇なきなりだね」

この例文は、日常生活でよくある場面を表していますね。

電車で高齢者の方や妊婦さん、体の不自由な方を見かけたとき、「席を譲った方がいいな」と思っても、なかなか声をかけられないことってありますよね。周りの目が気になったり、断られたらどうしようと考えたり、色々な理由で躊躇してしまうものです。

そして後から「ああ、やっぱり声をかければよかった」と後悔する。そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。

この例文では、席を譲ることが正しいとわかっていながら実行できなかった状況に対して、「義を見て為ざるは勇なきなり」を使っています。友人や自分自身への戒めとして、「勇気を出すべきだったね」というニュアンスが込められているんですね。

2:「いじめを見て見ぬふりをするのは、まさに義を見て為ざるは勇なきなりだと恩師に教わった」

この例文は、もっと深刻な場面での使い方を示していますね。

学校や職場でのいじめは、当事者だけでなく周囲の人々にとっても心を痛める問題です。「助けてあげたい」「止めなきゃいけない」とわかっていても、自分がターゲットになるのが怖くて行動できない。そんな葛藤を抱えている方もいらっしゃるかもしれません。

この例文では、いじめを止めることが正義だとわかっているのに行動しないことを、「義を見て為ざるは勇なきなり」で表現しています。恩師からの教えとして引用することで、道徳的な重みと行動への呼びかけが伝わってきますね。

誰かに教えられた大切な言葉として紹介する使い方も、このことわざではよく見られるパターンなんですよ。

3:「会議で問題点を指摘すべきだったが、義を見て為ざるは勇なきなりと反省している」

この例文は、ビジネスシーンでの使い方を示していますね。

会社の会議で、プロジェクトの問題点に気づいていたのに発言できなかった。上司の顔色を気にして、反対意見を言えなかった。そんな経験がある方も多いのではないでしょうか。

「空気を読む」ことも大切ですが、本当に重要な問題を見逃してしまっては、後で大きなトラブルになることもありますよね。

この例文では、問題点を指摘することが正しいとわかっていながら発言しなかったことを振り返り、自己反省の言葉として「義を見て為ざるは勇なきなり」を使っています。自分の行動を戒める使い方なんですね。

このように「義を見て為ざるは勇なきなり」は、日常の小さな場面から人生の重大な決断まで、幅広いシーンで使える言葉なんです。正しいとわかっているのに行動できなかったとき、自分や他人を励ます言葉として使ってみてくださいね。

似た意味の「ことわざ」は?「類語」「言い換え」表現

「義を見て為ざるは勇なきなり」と似た意味を持つことわざや表現は、いくつか存在します。ニュアンスの違いも含めて見ていきましょう。それぞれの言葉が持つ独特の味わいがありますよ。

正義は行わざるべからず

「正義は行わざるべからず」は、正しいことは必ず実行しなければならないという意味のことわざです。

「義を見て為ざるは勇なきなり」と非常に近い意味を持っていますが、少しニュアンスが違うんですね。「義を見て為ざるは勇なきなり」が「行動しないのは勇気がないからだ」と心の弱さを指摘しているのに対し、「正義は行わざるべからず」は正義の実行そのものを義務として強調している表現なんです。

どちらも正しいことを実行すべきだという点では同じですが、前者が「なぜできないのか」という原因に焦点を当てているのに対し、後者は「すべきだ」という義務感を強調していると言えるかもしれませんね。

勇気は正義の始まり

「勇気は正義の始まり」という表現は、正しいことを行うためには、まず勇気を持つことが必要だという意味です。

この言葉も「義を見て為ざるは勇なきなり」と深い関係があります。「義を見て為ざるは勇なきなり」が勇気の欠如を指摘しているとすれば、「勇気は正義の始まり」は勇気こそが正義を実行するための出発点だと前向きに捉えた表現なんですね。

同じテーマを扱っていますが、一方は戒めの言葉、もう一方は励ましの言葉として使えます。状況に応じて使い分けると良いかもしれませんね。

見て見ぬふりは罪なり

「見て見ぬふりは罪なり」は、不正や問題を知っていながら無視することは、罪を犯すのと同じだという意味の表現です。

「義を見て為ざるは勇なきなり」が「勇気がない」という心の問題として捉えているのに対し、「見て見ぬふりは罪なり」は無視すること自体が道徳的に問題だという、より厳しい指摘になっているんですね。

現代社会では、いじめやハラスメント、不正などの問題において「傍観者も責任がある」という考え方が広まっています。「見て見ぬふりは罪なり」は、まさにその考え方を端的に表した言葉だと言えるでしょう。

臆するは恥、進むは誉れ

「臆するは恥、進むは誉れ」は、躊躇することは恥ずかしいことであり、前に進むことは称賛されるべきだという意味の表現です。

この言葉は武士道の精神にも通じる表現で、「義を見て為ざるは勇なきなり」と共通する思想が感じられますね。正しいとわかっているなら、臆せず行動すべきだという点では同じですが、「臆するは恥、進むは誉れ」の方がより行動そのものに価値を置いている印象があります。

スポーツや挑戦の場面でも使える、前向きで力強い言葉だと言えるかもしれません。

「対義語」は?

「義を見て為ざるは勇なきなり」と反対の意味を持つことわざや表現も見ていきましょう。反対の視点から見ることで、元の言葉の意味がより深く理解できますよね。

触らぬ神に祟りなし

「触らぬ神に祟りなし」は、余計なことに関わらなければ、災いを招くこともないという意味のことわざです。

これは「義を見て為ざるは勇なきなり」とは正反対の考え方を示していますね。「義を見て為ざるは勇なきなり」が積極的な行動を促しているのに対し、「触らぬ神に祟りなし」は慎重さや不干渉を勧めているんです。

もちろん、どちらが正しいというわけではありません。状況によっては、無理に関わらない方が良いこともありますよね。ただ、本当に正義を実行すべき場面で「触らぬ神に祟りなし」を口実にしてしまうと、それこそ「勇なきなり」になってしまうかもしれません。

バランス感覚が大切だと言えるでしょう。

君子危うきに近寄らず

「君子危うきに近寄らず」は、賢明な人は危険な場所や状況に近づかないという意味のことわざです。

これも「義を見て為ざるは勇なきなり」とは対照的な考え方ですね。「君子危うきに近寄らず」は自己防衛や慎重さを美徳としているのに対し、「義を見て為ざるは勇なきなり」は危険があっても正義のために行動すべきだという積極性を説いています。

ただし、「君子危うきに近寄らず」も決して臆病を勧めているわけではありません。無謀な行動を避けて賢く生きることの大切さを教えているんですね。一方、「義を見て為ざるは勇なきなり」は、正義のためなら多少の危険は覚悟すべきだと説いているわけです。

どちらも一理ある教えですから、状況に応じて使い分けることが大切かもしれませんね。

事なかれ主義

「事なかれ主義」は、問題を起こさないよう、波風を立てないように行動する考え方を指す言葉です。

これは「義を見て為ざるは勇なきなり」が最も警鐘を鳴らしている態度だと言えるかもしれません。正しいことを知っていても、「面倒なことに巻き込まれたくない」「自分の立場が悪くなるかもしれない」という理由で行動しないのが、まさに事なかれ主義ですよね。

現代社会では、この「事なかれ主義」が多くの問題を生んでいることも事実です。組織の不正を知っていても見て見ぬふりをしたり、いじめを知っていても関わらなかったり。そんな態度こそが、「義を見て為ざるは勇なきなり」で戒められている姿勢なんですね。

もちろん、すべてに首を突っ込む必要はありませんが、本当に大切な場面では勇気を持って行動したいものですよね。

「英語」で言うと?

「義を見て為ざるは勇なきなり」を英語でどう表現するか、気になる方も多いのではないでしょうか。英語にも似た意味の表現がいくつか存在するんですよ。国際的な場面でも使える表現を見ていきましょう。

To see what is right without doing it bespeaks an absence of courage.(正しいと知りながら行わないのは勇気の欠如を示す)

この英語表現は、「義を見て為ざるは勇なきなり」の直訳に最も近い表現なんですね。

「bespeak」という動詞は「示す、物語る」という意味で、少しフォーマルな印象があります。「absence of courage」で「勇気の欠如」を表していて、原文のニュアンスをよく捉えた表現だと言えるでしょう。

論文やスピーチなど、やや格式ばった場面で使うのに適した英語表現ですね。孔子さんの言葉を英語で紹介するときなどに、この表現を使うと良いかもしれません。

Knowing what is right and not doing it is the lack of courage.(何が正しいかを知っていながらそれをしないのは勇気の欠如である)

こちらはよりシンプルで理解しやすい英語表現になっています。

日常会話やビジネスの場面でも使いやすい表現ですね。「knowing」と「not doing」の対比がはっきりしていて、「知っているのにしない」というギャップがわかりやすく伝わります。

カジュアルな場面でも使える、実用性の高い英語表現だと言えるでしょう。友人との会話や、プレゼンテーションなどでも活用できますよ。

He who sees the right and fails to act lacks courage.(正しいことを見ながら行動しない者は勇気を欠いている)

この表現は、「He who...」という格言らしい形式を使った英語表現になっています。

「fails to act」で「行動することに失敗する」つまり「行動しない」を表現していますね。「lacks courage」は「勇気を欠いている」という意味です。

英語の格言やことわざでよく見られる「He who...」の形式を使うことで、教訓的で普遍的な真理を述べているニュアンスが出ています。座右の銘として英語で表現したいときなどに、この形を使うと格言らしさが出て良いかもしれませんね。

どの表現も「義を見て為ざるは勇なきなり」の本質を捉えていますが、使う場面や相手に応じて選ぶと良いでしょう。フォーマルな場面では最初の表現、日常会話では二番目、格言として紹介するなら三番目というように使い分けてみてくださいね。

まとめ

ここまで「義を見て為ざるは勇なきなり」について、詳しく見てきましたね。最後に大切なポイントをまとめておきましょう。

「義を見て為ざるは勇なきなり」は、正しいことだとわかっていながら行動しないのは、勇気が足りないからだという意味でしたね。約2500年前の中国の古典『論語』に由来する孔子さんの言葉で、今でも多くの人の座右の銘として愛されています。

使い方としては、電車で席を譲る、いじめを止める、会議で意見を言うなど、日常の小さな場面から重大な決断まで、幅広いシーンで使えることわざなんですね。自分や他人を戒める言葉として、あるいは励ます言葉として活用できます。

類語には「正義は行わざるべからず」や「勇気は正義の始まり」などがあり、対義語には「触らぬ神に祟りなし」や「君子危うきに近寄らず」などがありましたね。それぞれの言葉が持つニュアンスの違いを理解すると、より深く「義を見て為ざるは勇なきなり」の意味がわかってきますよね。

私たちの日常生活では、「正しいとわかっているけど行動できない」という場面が本当にたくさんあります。周りの目が気になったり、面倒なことに巻き込まれたくなかったり、理由はさまざまですよね。

でも、本当に大切な場面では、ほんの少しの勇気を振り絞って行動することが、後悔しない人生につながるのかもしれません。「義を見て為ざるは勇なきなり」という言葉は、そんな私たちの背中をそっと押してくれる、心強い味方になってくれるはずですよ。

ぜひこの言葉を心に留めて、日々の生活の中で実践してみてくださいね。きっとあなた自身も、周りの人も、少しずつ良い方向に変わっていくのではないでしょうか。